金沢大学先端科学・社会共創推進機構

VBL

1.ニーズの現場に出かけよう

はじめに

 今回、VBL支援情報の欄を担当させていただく米川達也と申します。株式会社白山製作所の社長をしております。どうぞよろしく願い致します。
 私は1977年(昭和52年)3月に、金沢大学工学部機械工学第二学科を卒業後、電電公社(現在のNTT)に入社、主にサービス開発、人材育成、国際ビジネス分野の仕事に 従事したのち、2012年(平成24年)に白山製作所に入社し、2014年2月に同社社長に就任しました。
 大企業であるNTTグループでの35年間、そして中小企業経営者としての4年間を通して得たささやかな成功体験と数多くの失敗体験を、未来の日本と世界を担う若い後輩の皆さんに 余すところなくお伝えすることで少しでもお役に立てればこれに勝る幸せはないと思っています。
 今回から数回にわたって、私の「イノベーションの現場」体験をご紹介し、ご一緒に考えてみたいと思います。
 第1回目は、「ニーズの現場に出かけよう」です。

ニーズの現場に出かけよう
-フランスワールドカップの思い出-

 現代社会の哲人と呼ばれるP.F.ドラッカーは、イノベーションについてこう説いています。「イノベーションなる言葉は、技術用語ではない。経済用語であり社会用語である。 イノベーションをイノベーションたらしめるものは、科学や技術そのものではない。経済や社会にもたらす変化である。消費者、生産者、市民、学生その他の人間行動にもたらす 変化である。イノベーションが生み出すものは、単なる知識ではなく、新たな価値、富、行動である。」(エッセンシャル版マネジメント:P.F.ドラッカー)
 何とも幅の広い定義です。
 この定義だと、私たちの日常の中に、それとは気づかずに体験しているイノベーションがたくさんあるのではないかと思います。
 そしてまたドラッカーはこうも言っています。
 「予期せぬ成功ほど、イノベーションの機会となるものはない。」
 この言葉で私が真っ先に頭に浮かんだ思い出を語りたいと思います。

 それは日本が初めて本大会に進出した、1998年のワールドカップフランス大会のことです。
 第1戦となる1998年6月14日夜9時過ぎ、約100人の聴覚障害者が北区の公民館に集まり、日本-アルゼンチン戦のテレビ生中継を大スクリーンで見る会が開かれました。 まだ"パブリック・ビューイング"などという言葉が存在しない頃の話です。
 私はボランティアスタッフの一人として企画や現場調整に参加しました。
 当時は字幕放送がほとんどなく、ましてやスポーツの生中継での字幕放送は不可能でした。そこで全国各地のパソコンボランティアが自宅でテレビを見ながらアナウンサーや 解説者の声を分担してチャットに打ち込み、それをもうひとつのスクリーンに映し出す、いわば手作りのリアルタイム字幕放送をやろうということになったのです。
 最初に全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(全難聴)の理事長だった高岡さんから相談を受けたとき、私にはその必要性が理解できませんでした。ニュースなどと違って サッカーの中継なら映像だけでも十分試合の展開は分かるのではないか。全国規模のパソコンボランティアの手配、著作権の壁など山積する問題をクリアするだけの価値は あるのだろうか?(実際、放送局の"黙認"を取り付けるのは大変でした。)
 しかしゲームが始まった途端に、私はその程度の考えしかなかった自分自身が恥ずかしくなりました。
 フランスから送られてくる中継映像と国内各地のボランティアから送られてくるリアルタイム字幕が創り出す、臨場感あふれる"見える大歓声"に同期して、会場に集まった 100人が立ち上がり大歓声を上げる光景を目の当たりにしたのです。
 ニーズの現場を見せつけられた瞬間であり、同時にそれはドラッカーのいう「予期せぬ成功」によるイノベーションの瞬間でもありました。

 さらにこの時もう一つ、ニーズの現場を見せつけられることになりました。
 ゲームが終わって会場から出た聴覚障害者のほとんどが携帯電話(それも必ずツーカー系)を取り出して家族や仲間に連絡し始めるのに目を見張りました。もちろん音声通話を するためではありません。20年近く前の当時、まだサービス開始後間もない携帯メール「スカイウォーカー」を使うためです。家族が待つ彼らの家には、もう一台のツーカー携帯が 固定電話機の横に置かれているはずです。彼らとその家族にとってはこの時点からケータイはメール専用端末だったのです。
 彼らのニーズ(低価格、相互接続など)を最も敏感に汲み上げた「スカイウォーカー」は、この時期一人勝ちとなりました。まさに、今や当たり前となった携帯メールサービスの 先導的利用者(イノベータ)は彼ら聴覚障害者だったということができるのです。
 「予期せぬ成功ほどイノベーションの機会となるものはない」というドラッカーの言葉どおりとなったのです。

 上に挙げたこの2つの情景を、机にかじりついて、あるいは仲間内で議論を繰り返していて考えつけると思いますか? 私はNOだと思います。
 同じくNOだと思った皆さん、今からでも遅くありません。とにかく外に出かけて好奇心を持って、そこにいる人と話し、そこで起こっていることを観察してみましょう。 ニーズの現場はイノベーションの種で溢れています。その種はあちらこちらに散らばって、貴方に新しい"何か"を見せつけようと手ぐすねを引いて待っているのです。

2016/3/2
文責 米川 達也