金沢大学先端科学・社会共創推進機構

VBL

62.経験の記録づくり

-古総湯でのひと時-

今年の初め、山代温泉のあちこちに立っているたくさんの旗に誘われ、湯の曲輪(ゆのがわ)にある古総湯(詳細はこのあとに説明します) を楽 しんできました。そこで、のんびりとしているうちに昔のことを次々と 思い出し、その記憶に浸りました。 昨年末『ポストヒューマン誕生』と言う本を読んで、個人の体験をロボットにどのように伝えていく かについていろいろ考えていたばかりでもあり、古総湯のひと時を体験の一つを記録するとどうなるかを試してみました。今回は、このあ たりをまとめてみたいと思い ます。皆さんも、温泉に行ったつもりでゆったりとお読みくださ い。

古総湯とは

図1は山代温泉のほぼ真ん中にある古総湯と総湯の写真です。この写真で一方通行と表示されている道のあたりが湯の曲輪(ゆのがわ)と言いわれているところで す。真ん中にある建物をぐるりと取り巻いた道があり、その周りに、いくつかのホテルや史跡があります。この写真では、2つの総湯を見やすくするために、周り のホテルは消してあります。手前、真ん中にあ る建物が古総湯です。まことに、スマートな建物で、明治時代の総湯を復元して2010年に建てられたものです。一方、その後ろに見えるのが2009年 に建てられた総湯です。こちらは地元の人々が、普段入る共同浴場として使われています。私も山代を訪れる時には、こちらの総湯で一日の疲れを取ってい ます。 100%源泉を使い毎日総入れ替えをし、熱交換システムシステムも整備された清潔でエコな市民のための総湯です。

古総湯と総湯
図1 古総湯と総湯

ちなみに山代温泉の効能は以下の通りです。

泉質 ナトリウム・カルシウム 一硫酸塩・塩化物泉 中性低張性高温泉/ナトリウム・カルシウム 一硫酸塩泉 弱アルカリ性低張性高温泉
適応症 神経痛、痔疾、筋肉痛、 冷え性、関節痛、病後回復期、五十肩、疲労回復、運動麻痺、健康増進、間接のこわばり、動脈硬化、うちみ、きりきず
くじき、やけど、慢性消化器病、慢性皮膚病
禁忌症 急性疾患(特に熱のある 場合)、活動性の結核、悪性腫瘍、重い心臓病、呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、その他一般に病勢進行中の疾患

私には該当する適応症はないが禁忌症も無いので、とりあ えず安心と、入場券を買って入りました。

古総湯ところが驚いたことに、古総湯には 脱衣部屋はあ りません。その代わり、湯船のある部屋に入り、着ているもの脱いでこれに入れて棚(図の左真中の棚です)に乗せて置いてくださ いと、大きなビニール袋をいただきました。シャンプーとリンスを持っていったのですが、それは使えませんと注意され、持参した手拭もお風呂の中では使 わないでください、お風呂から上が り洋服を着る前に、濡れた体を拭くために使って下さいとも言われました。お風呂に浸かる前から、昔のお風呂の習慣を体験できるよう、いろいろ工夫していることを感じさ せ ら れました。こうして、湯船のある部屋に入って見ると、中はそれほど広くはありません。大きな建物に入ったのだから、もう少し大きなお風呂 を予想していた私としては、少々期待外れです。そういえば、古総湯の建屋は2重構造となっており、周り全部が廊下となっていました。したがって廊 下の 幅だけお風呂は小さくせざるを得なかっ たようです。中に入ってみると、先客は2人だけでした。1人は、ちょうど服を着て上がる準備されており、もう1人は湯船に浸ってい るという静かな状況で す。間もなくその2人は風呂から出られ、そのあとは贅沢にも古総湯を1人占めです。隣の女性風呂からは、笑い声とお湯をかける音が聞こえるものの、それ以 外 は何も 聞こえない、静かなお湯でのびのび・ゆったりのひと時を過ごせました。

お湯の温度も43度くらいとそんなに高くないため、少々長く浸かっていても"ゆでだこ"になる心配はありません。誠に快適です。 湯船に 入って数分経つと、体もほんのり温まっ てきてお風呂の周りを見渡す余裕も出てきます。<図参照>

最初に気がつくのは図の右上にあるまばゆいばかりの赤・青・だいだいそして透明なステンドグラスのはめ込まれた大きな窓です。 そして周りを取り巻く木造の茶色の壁(あとでパンフレットを見てこれが"拭き漆"だと いうことが分かりました)も見えました。壁の下の方にはきれいなタイルがはめ込まれています。このタイルは山代名産の九谷焼で当時の絵柄や模様をまね て 焼いて作ったものだそうです。また、浴槽には地元の滝の原地区でとれた石が使われているといった具合に、徹底した地元指向の造りです。

記憶を呼び起こす古総湯

昔の総湯体 はあったかいし、周りは静か、いつのまにか心は昔に戻っていました。この古総湯が出来る前、ここにあった総湯(共同浴場)のそのまた前の総湯 (ひょっとすると昭和4年建築))を思いしていました。確かその時は脱衣場は別部屋となっており、そこからお風呂に入る時には図にあるように丸い半円形 の石段を下りて行きました 。そういえば慌てて下りようとして転げ落ち大変痛い思いをした事まで思い出す始末です。大きな風呂は2つあり、この図で右にあるお風呂は 熱くてあまり入れま せんでした。右の湯船の横の四角いとこらから、源泉が湯船に注いでいました。生卵を持って行って、ここに入れておくと、帰りにはおいしい半熟卵のお土 産が出来るという塩梅でした。最も、総湯の外にはもっと大きな、半熟卵を作るところもあり、急ぐ人はそちらで茹でていました。

ここに毎日通っていた子供のころ、お風呂は、遊び疲れたみんなが寝る前に体を温めるために集まって、思い思いのことを語り合う場所でも ありまし た。ふざけす ぎて周りの大人の人にうるさいと怒られたことなど、楽しい思い出がドンドン出てきます。その頃の子供にとっては、そこはまさに浮世風呂そ のものでした。

そのうち、こんなことも思いだしてしまいました。いつも、ここに来ると、先輩が待ち受けていて、私に数学の問題を出すのです。私 は、必死 でその問題を解こうとするのですが、なかなか正しい答えに至りません。そんな時にはその先輩がいろいろヒントを出して、私を正解に導いてくれたので す。鶴亀算やピタゴラスの定理など、普段学校で教わらなかった奇妙な数学みたいなものを教わりました。今考えれば、お風呂で解けるよう な問題ですから、そんなに難しい問題であるはずもなく、直観的に解ける幾何学のような問題もしくはクイズが多かったと思います。さだめし井戸端会議なら ず子供のお 湯端学校でした。

ひょっとしたら、私が工学部に進学できたのは、その人がお風呂で、私に数学やそれに類するクイズを出してくれたためかもしれません。 ところが、今思いだそうにも、そんな風にして私を育ててくれた先輩の名前がどうしても思いだせないのです。まさに記憶の欠落です。ひょっとして、その 時は、私を苦しめた苦手な人として、無意識の何者かがその恩人の名前を記憶から消し去った のかもしれません。

時には、面白くない事もありました。終戦直後のまだ衛生環境の整っていない時代のことですから、お風呂から帰る時に蚤や虱を 持って帰ってしまうこともありました。それを防ぐため、時々お風呂からあがる時にDDTを体や衣服き噴きつけらたのです。 その頃の日本はそれほど貧 しかった事も思い出してしましました。

こうしてお風呂で、過去の思いを楽しんだ後、2階に上がるとそこは、ゆっくりとした畳の間です。ここは、出入口こそ違えども男も女も 一緒に楽しめる空間 です。窓にはステンドグラスがはめ込まれていて、いい雰囲気です。机もありセルフサービスではあるがお茶もゆっくり飲める広間です。若い2 人が、お風呂にはいって、ここでデートするには、最高の舞台装置です。
そういえば、こんな雰囲気何処かで経験したと、ひらめいたのが図4の道後温泉です。

形からの連想
図4 形からの連想

もっとも、道後温泉の2階には一休みできるスペースも着替える部屋もあり、湯船も2つ、さらには3階もあったの で、 もう1ランク上の大きな設備でしたが、おおざっぱな構 造が似ているためにひらめいたようです。ちなみにこの写真は、温泉の入り口であり、確か湯船やそ の上の部屋は、この左側にあったような気がします(違っていたらごめんなさい。ここでは事実ではなく、思い出の繋がりを表現しようとしています)。

興味を起こさせる古総湯

他にも、古総湯にはどんどん昔を思いだす仕掛けがありました。 たとえば、廊下にかかっているパネルは、下図は古総湯のモデルとなった明治時代の総湯と室町時 代の絵の複製です。他にも、私が思い出の中で見ていた昭和のはじめの頃の総湯の写真なども飾ってあり、歴史を感じさせる仕掛けとなっていました。歴史に興味を持っている人にはうれしいパネルです。

パネル
図5 パネルの例

そういえばお風呂の中で思いだした貧しかったころとはどれくらいのこと だったのか検証しようと、 家に帰って日本人の一人当たりの国民平均所得を調べてみました。これをグラフにしたのが図8です。(国立社会保障・人工問題研究所のデータをドル表示に加工)


国民所得
図6 昔は貧しかった;

作って見て びっくり、私がの中学に入ったばかりの1955年頃の日本人1人当たりの国民所得は約8万円で、ドル表示では約220ドル(当時1ドルは360円)です。 現在の国民所得の100分の1以下です。どれくらい貧しかったのか、親の苦労どれほどであったのか、しみじみ考えさせられます。世界保健機関(WHO)の「World Health Statistics 2011(世界保健統計 2011)」の発表によると2009年における国民総所得の最下位(157位)はリベリアの290ドルです(ただし数値の存在しない国は除く)。ドル の 実質価値の下落はあるとはいえ、その頃の日本の貧しさは推して知るべしです。ちなみにこのグラフの1990年頃までのデータしかないグラフを見て いた人たち(その頃の識者も)は、これから先日本 はどうなると思ったでしょうか。ほとんどの人は前途洋々、希望に満ちた生活を送れるはずと考えたと思います。『ジャパンアズNO1』なる本が書かれた はずです。 そしてこの1990年頃を境に、景気対策と称して経済原則を無視した政治的思わくに基づいた施策 が続けられ、今の実質的財政破綻状況を招いていたのではと考えざるを得ません(結果論として)。図8を見ていると前回 人は変われるかで見ていた特異点も怪しいものだと、根拠のない妙な安心感を持たせてくれます。すなわちこの先財政破綻か経 済恐慌には陥るだろうが、 おかげで、ポストヒューマンに人間が支配される事態は免れるのではないか(冗談)。こうなると、経済恐慌は喜んでいいことなのでしょうか悲しむべきことなのでしょうか? 政府の対応は正しかった?皆さんどう思われますか?

これらをまとめてみると

冗談はさておき、ここまで古総湯に入りながら思い出していたことを並べてきました。それに、若干に追加をしたも のをまとめて図にしました(図8)。


構造
図7 古総湯での思い出

この図で

  • ハー トマークは私の心に浮かんだ事
  • 四 角のマークは実際に体験したこと
  • ディ スクマークは資料やネットワークある外部情報です。

いずれにしても自分の感じたことは、ここまで書いてきたような方法で、図に文章を入れるか文書に図を入れることにより、記録として残 すことが出来そうであるということ。 ただこんな事をいちいちやっていては、忙しくて、普段の生活にも支障をきたします。何せお風呂に入っていたほんの30分位の思い出の一部を書きだそ うとするだけ で、 この資料を作るような手間がかかるわけです。自分の複製をつくろうなどと考えてすべての情報を集めるのであれば、BNR革命の成果であるナノボットを 使って記憶を自動記録し、それを解釈出来るようにならない限り不可能な事は確かです。 しかし今の情報処理技術であっても、自分で重要と感じた事だけなら、手間をかければ記録に残してお く事は出来ます。これは、子供のころに毎日日記を書きましょうと言われ、日記を書いていたのと同じようなものです(ただ私の場合、今はそれがどこにある の かすら分かりま せん)。また、20年くらい前ワープロで作った文書は、ワープロを捨ててしまったため今や読むことはできません。それでも、紙で残しておいたも のだけは今でも読むことが出来ます。こう考えると、今でも紙に勝る記憶媒体は無いのかもしれません。印刷装置を作った人そして複写機を作った人には感 謝します が、その前提となった紙を発明し人にはもっと感謝しなくてはいけないようです。しかし、これからは、記録に残すことだけはなく、早く伝える事を前提 とした、情報作成や記録する方法が重要になるかもしれません。皆が自分の記録を作る際に、他の人が作成した情報が使えれば、 その部分の製作は手抜きが出来るわけです。そのためには自分 の記録や広告もそれとなくそのようなところに置いておけば、検索ソフト使って、誰かがそれを使って効率よくその人の記録を作れるようにすれば、お互いにメ リットを受けるわけです。先 の例でいえば思い出の総湯の図を見て親切な誰かが、もっといい記録を見つけて、訂正版を送ってくれるかもしれません。そうすれば、私の記録も信憑性 を増してくるわけです。定めし、ナノポットができるまでは、他人の情報で補強するということ です。

記録の保持期間や読み取り装置の互換性に問題があるとしても、それはそれなりに、現在でも趣味の人や、組織の中の人の、多くの手間を厭 わない人たちの手で情報化が進んでいます。誰かのために役立つようにと他人が入力するものとしては

  • 趣味の会の報告
  • 物やことの広告
  • ゲーム等の成績ランキング
  • コンテストの結果や成績報告
  • 教育システムの成果発表

などがあります。これらに類する情報は、本業をより面白くしたり、宣伝したりというものですから、表のビジネスとして見えることは少ないか もしれませんが、探 せばいくらでも見つけら れます。こうして、個人もしくは組織の経験を補強する情報は、副産物として過去の記録としても使われるようになりそうです。

一方、自分で入力するものとして

  • facebook等SNS
  • ブログ
  • 日記アプリ
  • ノートアプリ
  • 自叙伝

など、こちらもいろいろ使える方法が考えられます。 

これらは、す べて情報を記録し、参照に使えるツール(ソフトと仕組み)です。Ffacebookの社長は、上場が成功すれば時価2兆円の株を持っていることになると言われていますが。 多くの人は、このようなツール を作るのではなく、自分のビジネスやベンチャーを立ち上げる時に、これらを使って少しでも自分 の必要とする情報を集めたり(イノベーションの探索参照)、発信していくために使うのが良さそうです。  

ただこうした活動は、物を集めるのか情報を集めるのかの違いを除けば、エジプトの王様がピラミッドを作り、そこに来世に備えて、必 要な身の回り用品をそろえたのと同じ状況ではないでしょうか。情報中心の時代になれば、楽しい経験の記録づくりもモノづくりと 同じように事業のネタとなりそう です。

2012/02/02
文責 瀬領浩一