金沢大学先端科学・社会共創推進機構

VBL

64.サービスメディアの選択

-アンコールワットを見て-

音楽の入ったCDをメディアと言うように、サービスを提供するための手段をサービスメディアと呼ぶ考え方が出てきています。このた び、アンコールワットを訪問しまし、そこに残された、無数の石碑や壁画を見るにつけ、昔 の人たちはなぜこのような方法で、このようなものを残したのかをサービスメディアの考え方で整理してみました。 王様はこの寺院を建てることによって、権力の「見える化」を行い砂岩を使って伝えようとし たのでしょうか?それとも、自分が再び「この世に戻ってきたときに備えて」 のメッセージを準備をしていたのでしょうか。そのあたりの経緯を知るよしもありませんが、何か伝えたいの王様の意図 (メッセージ)はあったはずです。今でも大会社は相変わらず大きい本社ビルを造り、なかにはスカイツリーのよ うな高い塔を作る会社があるのと同じことかもしれません。この後、寺院もメディア の一つとの前提で、思いつくまま纏めてみました。

朝日に映えるアンコールワット

朝日に映えるアンコールワット

早朝、真っ 暗な 中ホテルを出発し、バスでアンコールワットの西参道正門付近に到着しました。そこには、ほかにも多くの人がバスやバイクタクシー (人力車の人が引っ張るところをバイクに置き換えたようなもの)に乗って集まって来ていました。 まわりには街灯も無く、転ばないように乾電池のライトを頼りにおそるおそる歩いていきました。 そして着いた入場口で、一人一人写真を撮られ、それを印刷したアンコール遺跡すべてに使える入場用チケットを手に入れました (1日20ドル)。遺跡の入り口付近には係員が並んでおり見学者とこのチケットの写真を比べながら チェックをしていました。広い地域に散らばっている遺跡であっても、これなら何度もチケットを買う必要はありませんし、 写真付きのチケットですからなりすまし入場も防げます。ハイテクとローテクの見事な組み合わせシステムと感心しました。 最も、なりすまし入場者を防ぐ価値があるくらい、入場料金が高いとも言えるのかもしれません。 (ちなみにカンボジアの2009年の国民一人当たりのGDPはUNSTATS(注1)によれば709米ドルと報告されています)。

写真は、こうして入ったアンコールワットの日の出直前(6時34分)の写真です。 ほんのりと空が赤くそまっています。真中には大きな3つの塔が見え、手前の池にその姿が逆さに映っています。 残念ながら空は少し曇りがちで、この日はこの後もきれいな日の出を見ることはできませんでした。不思議なものです。 濁った湖のはずなのに、こうやって見るとまるで鏡のように美しくアンコールワットを映し出しています。 西側に正門を造った理由も、アンコールワットのある方向から朝日の上るところを見せ、アンコールワットの向こうには希望があると 王様は主張しているようにも見えます。日本ならさだめし逆さ富士という構図ですが、見事な演出です。

天国と地獄

天国と地獄

アンコールワットの第1回廊に入る前に、ガイドさんが突然、「ラーマ王子と猿の連合軍が悪魔の軍と戦い勝った」 との話を5分位かけて初めました。なんでこんな話をとぼんやりと聞いていると、それではこれからその様子を見て見ましょうと 、第一回廊西面に彫られた彫刻の前につれていかれました。そこには、こんな細かいものを彫ったの かと感心させるレリーフ(地肌より浮き出ている彫刻)が延々と続いていました。戦場の様子を伝える巻物に描かれた絵のような感じです。 ラーマ王子と猿が必死に戦っている様子がレリーフに彫られていました。使っている武器も、戦い方もいろいろです。 5分間にわたるお話の更に詳細な様子をビジュアルに見ているわけです。 文字を読めない昔の人でも、言葉の異なる外国の人でもお話を聞きながら彫刻を見ていけば戦いの様子は理解できます。 戦いのあらすじは言葉で、詳細は彫刻でという表現です。

絵であるがゆえに、見ているとどんどんイメージが広がっていきました。 現代の小説のように言葉で詳細を書き、挿絵でピンポイントを表現するのとは正反対の表現手法です。 第1回廊の周りには、この外にも将軍の行進、ヴィシュ神と阿修羅との戦い、阿修羅をめぐる神との戦い等々数々の戦いの物語が彫られ、 王様の強さを表現しているように見えました。

そのなかで記憶に残ったのは「天国と地獄」でした(図参照)。 そこでは、閻魔様に裁かれようとする人々、閻魔様の袖を引き何かを訴えようとする人、裁かれて地獄に落ちて行く人々、 天国に昇る人々が彫られていました。地獄に落ちた人々は、逆さつりされたりこん棒でたたかれていました。 一方天国に行った人々は整然と並んで座っている様子が見てとれました。 ここを訪れる人々に、王様の言うことをまもらないと、とんでもないことになるよと言っているようです。

古からの言い伝え、王(そして神でもある)の偉業、死後の世界の様子をレリーフで国民や競争相手 の国の人々に送ろうとしている意図が見とれました。彫刻による表現はレリーフだけではありません。 門の屋根の上、ひさし、壁さらには柱にも無数の彫刻がなされていました。 最も、中には未完成なものもありましたが。

寺院の様子

寺院

写真は第2回廊から第3回廊とその上 を眺めたものです。第3回廊の外側は、砂岩で固められ、内側はラテライト(紅土と呼ばれる紅色の素材)、 またその中にはもみ殻、サトウ椰子等が詰められているそうです。  回廊の周りの石はかなり崩落し、左下の写真のように第2回廊の内側に集められていました。  訪れている人と比べていただければお解りのように使われた砂岩はかなり大きいものです。  第3回廊は、まだ修復の途中にあり危険なため、中には入ることはできませんでした。  確かに砂岩で作られた石段を見るだけでもその危険な様子は分かりました。  階段は急角度にせり上がっており、その一つ一つの石段の角は丸く擦り切れていました。  その上、階段には手すりもなく上の人が足を滑らせたら、下にいる人は逃げようも支えようもありません。  ほかのところも同じようなものですが、私達が歩いたところは木で石段を覆い、歩きやすくなるように工事をしてありました。

このようにクメール建築の寺院はもろくはあるが耐久性のある砂岩やレンガで造ったため後世に残り、私たちもそのおこぼれをも らえることになったわけです。一方、王様が住んでいた宮殿は自然の恵みを象徴する木造となっていたためか、今では跡形もなく、どこにも見ることは できませんでした。そういえば、ガイドさんの「この地には日本のように地震は無く、日干しレンガ造りの普通の家でも50年は持つが、その他の木造の 物は、虫に食われてすぐ使えなくなる」という言葉が妙に印象に残りました。それが熱帯で雨の多い国の特徴であり、普段の生活から寺院の建造にまで天候の 特徴が反映されていました。こうして、今となっては長く残ったものだけが文化遺産となっているわけです。ところで「アンコール」は王都、「ワット」は 寺院を意味するそうです。

遺跡から学ぶもの

アンコールワットは12世紀の前半、スールヤヴァルマン2世によって建設された寺院です。当時の宗教はヒンズー教(現在は国民 の90%以上の人が仏教徒だそうです)でした。王朝は続いていたとはいえ、権力闘争は激しく、権力闘争に勝った人が王様となって王位を継承していたよう です。更に国内外の敵対勢力との戦いも続いた時代、アンコール王朝の最盛期を築きあげたのが、アンコールワットの建設者のスールヤヴァルマ ンと次にアンコール・トム(アンコールワットのすぐ近くにあります)を建設したジャヤヴァルマン7世だそうです(注2)。

アンコールワットを見て残したいものと今 を過ごすために必要なもの、自分のものと他人に訴えたいものが明確に分離されているように見けられました。例えば、自分の住む宮殿は好みを反映させやす い木造で建築し、神や国内のライバルさらには民衆に見せる寺院には、石材を使い少々粗っぽくても長く持つものにすることなどは、組織運営の参考にしなくて はなりません。 そういえば、アンコールワットのレリーフには芸術的洗練度が不足しているとの評価がなされているとのことですが、目的が出来るだけ長く多くの人に見せるこ とで あれば、それでもいいのではないでしょうか?そもそもあれだけの彫刻数です、質より量とせざるをえません。

こうして寺院の中に、王国(組織)の強さを表現したいと いう王様(リーダー)のあくなき思いを垣間見た思いです。このあたりは現在の組織内の権力継承やグローバルな競争の中での市場の奪い合いと環境的に は大きな違いはなさそうです。事態打開のためにはアントレプレナー精神に富んだ新しい王様(リーダー)が必要とされるのは、何時の時代でも同じなのかも しれません。

アンコールワット建造中も、その時代の人々に、自分の権勢(能力)を誇示す ることにより、他の国からの侵略を防止し、その時暮らしている人々に平和と将来を示し、住民の信頼を得ようとしていたのではないでしょうか? 寺院は王様が民にメッセージを伝える重要なメディアであったことは確かです。こうして構築された寺院も、王国が滅びるとともに忘れられ荒れ野原と なっていたそうです。それが、たまたま後世の人に発見され、現在の私たちが見ることができるわけです。

起業においても、同じかもしれません。900年も先のことを考える必要はありません。新しく立ち上げる企業は、従業員や顧客に対し て、その将来性と素晴 らしさを明確に伝えることにより希望や信用を生み出し、その時々に必要な他の資源の手配が順調にいくように工夫して行くわけです。最も現在 のように時代の変化が激しい時には、メッセージを伝えるために石碑や彫刻を使っていては追いつきません。思いを伝えたい相手に応じて、顧客が 興味を持ちそうなクラウドにサービスや安心についての自社の対応を魅力的な形でアップしたり、「情 報共有の仕組みづくり」でご報告した(株)三技協さんのようにサイバーマニュアルを使って従業員の間の情報共有を推進したりすることかもしれません。 いわば情報化時代の寺院作りが必要なわけです。一つ一つの情報は、アンコールワットの壁画の兵 隊さん・閻魔様・お猿・道具に当たります。こうして作られ整理され積み上げたものが、そのうち巨大な壁画(情報群)となって、周りの人に影響を与えて行 く はずです。また、アンコールワットを見て行くと、中には中途半端な彫刻像や、まだ手もつけていない平らな天井もありました。ただ、周りから見えると ころや入って一見して気がつくところはおおむね完成していました。さだめし重点指向で効果のあるところから段階的に手を付けて行ったようです。王室が 続く間寺院のような期間のかかるものを建造し続けたようです。我々も、見習うべきことのようです。 完成したものを売るモノづくりではなく、顧客とともに満足感を提供し続けるくサービス中心の ビジネスと同じです。どこかの国のように、情報の生産過程(議事録)も残さず、「ベストの結論を提供するから、民はそれに従うのがもっといいのだ」とい う考え方でのサービス提供は今も昔も通用しないようです。その時その時に最適なメディア(物 もサービスのためのメディアの一つ) を使って、日々情報(意図)を蓄積し、ステークホルダー(利害関係者)にメッセージを伝え ていく努力をしなくてはいけないようです。

情 報化時代となり、インターネットを通じて無数の情報が飛び交っている現代は、確固たる意志を持って組織の考え方(こころ)を固め、その時代 の人たちに意図するもの(ビジョン)をグローバルに発信していかなくてはなりません。そのためには言葉が通じなくても分かるように、物を使ってビジュアルに発信していくのも有効であることを体 験させられました。また、今回の見学で体験したたように、ひょっとしたら900年もあとの人々にそのメッ セージを伝える事が出来るかもしれません。このようなメッセージを伝えたいときにはメディアはも即時性だけではなく、 しばらく保存のきくもを使った方がいいことも体験しました。これができれば王様の一部であった 意思が900年後も生きているのと同じ事が実現できます。「人 は変われるか?」で言っていた永遠の命実現の一つです。このためには、レリーフで記憶することはできない にしても何らかの方法を考える価値があるような気がします。とりあえずの組織運営でいえば、組織体制とマーケティング、短期目標と長期計画に相当するも のをど れくらいの期間どのように保存し、どうやって、誰に伝えたらたらいいのでしょうか。言葉で伝えるかイメージで伝えるか、メディアは声や物かネットか、新 しい組織を造った時、最初にぶつかる問題です。


注1: United Nations Statistics Division (URL http://unstats.un.org/unsd/default.htm) 
注2:  「アンコール・王たちの物語」 石沢良昭 日本放送協会2000 参照

2012/03/14


文責 瀬領浩一