emotion
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20マゼラン・リゾーツ・アンド・トラスト株式会社代表取締役社長朽木 浩志衝撃を受けたハワイ大学2年の時に海外研修があり、初めて飛行機に乗って出かけた場所がハワイだった。北陸とは全く違う風景に衝撃を受けた。写真は、社会人になって再度訪れたときのもの(1994年)。起業の原点となった特別な場所だ。旅行で得た希望と業界に見た失望 私は富山のものすごい田舎の出身です。国鉄職員の父には「お前は地元の大学を出て、地元の市役所に就職するんだ」と育てられました。当然、年ごろになれば反発心が起きる。大学は北陸大学の外国語学部なのですが、2年生のときに大学が企画したハワイの語学研修に行ったんです。「海外なんて一生に一度、新婚旅行で行くもの」と言われるような土地で、一介の学生がハワイに1カ月も行くわけですから、大騒ぎ。近所の人たちはこぞって餞別を持ってきてくれるし、父からは祖父が戦争に行ったときのお守りを持たされ、ほとんど“出兵”するような見送りを受けました(笑)。生まれて初めての飛行機、生まれて初めての海外は、当然ながら衝撃でした。ワイキキの夕暮れを高台から見下ろして、「自分の人生はまだ何も決まっていないんだ。誰かに決められるものでもないんだ」と、初めて翼を手に入れたような気持ちになったことを覚えています。 それで、大学卒業後は大手旅行会社の金沢営業所に就職しました。ただ、格安航空券が流行り始めたこともあって、非常に薄利多売で、自分が思い描いていたグローバルなイメージとはかなりギャップがあった。数年後に今度は、旅行パッケージをつくる卸会社に転職したのですが、そこでも団体旅行のパッケージツアーに失望し、旅行業界から足を洗うことにしたんです。その後4年ほど、まったく畑の違う仕事を続けていました。 転機は29歳のときでした。「アマンリゾート」という世界的な高級リゾートグループの存在や、上質な温泉旅館の経営をされている社長との出会いを通して、以前経験した旅行業界のビジネスモデルとはまったく真逆な「ラグジュアリートラベル」というものを知りました。「これこそ自分のやりたいことだ!」と確信した私は1998年、会社を辞めて、現在の会社を起業しました。苦労の積み重ねが今日を築いた 2016年で創業18年ですが、最初のころは苦労の連続でした。経営のノウハウもないし、手探りで続けながら学んだことが多かった。「アマンリゾートを扱う会社です」と表ではクールに営業していても、会社を存続させるための“日銭”が必要だった。だから最初の3年は、個人客の温泉1泊旅行の手配や小松—東京間の飛行機の予約、団体客のナゴヤドーム野球観戦ツアーのオーダーに応える毎日でした。まさに「今日を生きないと、ロマンには到達しない」 起業・ベンチャースタイルまずは興味のあることを見つけて、トライしてみること。そして“楽しむ”こと。仕事探しは、旅と似ている。興味のある場所に出かけ、未知の世界を体験する。そこに、虚勢や嘘はない。すべてが自分の成長の糧になる。金沢で“ラグジュアリートラベル”という新領域を切り開いた朽木さん。その言葉は等身大だ。

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