emotion
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27「自分はこの国に教えに来たのではない、 学びに来たんだ」と悟った。う。それを祖母にあげて「あんたすごくなったね」と泣かれたりして(笑)。講義や教科書で得た知識しかないのに勘違いして、「俺は日の丸を背負って他国を救うんだ!」と意気込んでいた。ところがドミニカ共和国に着いたら政権交代のせいで、「お前、呼んでない」と言われて。あげくの果てに「まあいいから、一緒に飲もうや」「踊ろうや」と。ラテンの国ですからね。本当に拍子抜けしました。助け合い精神で築かれた豊かな国 ドミニカ共和国での経験は、いろんな面で人生観を変えました。たとえば協力隊は月収300ドルでしたが、当時の300ドルというとIBMの部長クラスの給与で、ドミニカ共和国では使いきれないほどの大金です。しかし、僕が現地の方の家に遊びに行くと「入れ入れ」と歓迎してくれて、高いビールを僕の分も注いでくれる。家には子どもが5人もいて、鶏が産んだばかりの卵2個のうち、1個を僕に、1個を子どもたちみんなで分けようとする。さすがに申し訳なくて食べられなかった。しかも子どもたちはみんな親が違うんです。ドミニカ共和国の貧しい人たちはすぐ離婚して再婚するので互いの連れ子がたくさんおり、両親は分け隔てなく可愛がっていました。 衝撃だったのは、国家レベルの障害者教育研修全国大会の日に、メインスピーカーが時間に来なかったこと。理由を尋ねると「隣の奥さんが風邪を引いたから看病をしていた」という。こんな大事な日に?と最初は理解できませんでしたが、それが彼の本質、真実の姿なんです。たとえば僕の講義を聞きに来る人が、自分ひとりであれば往復1時間のところ、障害者を迎えに行って連れてくるのに往復4時間を使う。1日のうちの4時間を人のために使うって、なかなかできることではありません。 こんな経験もありました。田舎でお世話になったおばあちゃんがだいぶ衰弱してきて、私が訪ねたときにはみんなで祈りを捧げていました。脱水症状だから点滴を打てば治るかもしれないと思った私は、「必要ない」という周りの声を無視して医者を呼び、実際に点滴ですぐに元気になった。でも、いつも点滴を打つわけにいかないわけで、1カ月経つとまた同じ状況になる。結局、日本人が偉そうにやってきてその場は救ったけれど、「みんなで命の終焉を見守っていく」という彼らの価値観を私が理解できていないだけだったのです。「命は何よりも大切」という先進国的な勘違いです。中南米の連帯感や愛国心、誇りのようなものを日々目の当たりにした私は、日本の社会保障システムが成長していくなかで失っていったものの大きさを感じ、同時に「自分はこの国に教えに来たのではない、学びに来たんだ」と悟りました。

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