emotion
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04自分が100%満足できないかぎり、つくり続ける。首都圏と金沢の距離感を感じず、刺激を与えあう 2016年10月2日に、OTONOKO[オトノコ]というフェスを、金沢の石川県産業展示館で開催しました。これは、バンドの豪華ラインナップがそろい踏みするロックフェスでもなく、世界トップクラスのDJが盛り上げるEDMフェスでもない、ジャンルを超えて、「いままでになかった新しいフェスをつくりたい」という思いから企画したものです。 きっかけは北陸新幹線の開通が大きいです。首都圏から金沢に行き来しやすくなったので、金沢という場所を知っていてもまだ来たことのない人たちを呼べたらいいなと。僕は音楽家ですから、音楽で地元を盛り上げつつ、その音楽を聴くために首都圏から足を運んでもらえたら素敵だなと思ったのが原点にあります。 金沢は、クリエイティブなことをやりたい人が多く育つ街だと思います。洒落たカフェやレストランはたくさんあるし、ライブハウスやクラブなど音楽に関係するハコもたくさんできる。でも、そういうところに通う人が、残念ながら少ない。だから自分にできることがあればという気持ちが強かった。「故郷に錦を飾る」という大げさな思いではなくて、首都圏との距離感をあまり感じないようにしたいというか。せっかく近づいたので、「今日は金沢、明日は東京」みたいに気軽に行ったり来たりして、お互いに刺激を与えあえたらいいなと思っています。中3から高3までに就活していた 僕は石川県金沢市の生まれで、高校3年生まで金沢にいました。現在の仕事は、音楽ユニットCAPSULEでの活動、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅなどの音楽プロデュース、他のアーティストへの楽曲提供、映画音楽などの制作がメインです。DJとしてクラブやイベントでプレイもしているし、金沢にもよく来ています。 音楽制作という道の始まりは、小学校時代にさかのぼります。音楽好きな両親のもと、3つ上の姉に続いて5歳でピアノを始めたのですが、教則本どおりに弾くレッスンは苦痛といってもいいほど苦手でした。でもピアノを弾くこと自体は好きで、自由に弾くことを繰り返していたら、好きなフレーズがどんどん生まれるようになって。それで自分の演奏を、使わなくなったビデオデッキに録音し始めたんです。やかんとかお茶漬けの空き缶をパーカッションにしたりして(笑)。10歳でした。中学時代にはシンセサイザーを使った打ち込みの楽曲も聴くようになり、高校生でYAMAHAの「QY」シリーズというシーケンサーを購入し、本格的な打ち込みを開始しました。 こしじまとしことcapsule(現:CAPSULE)を結成したのは高3です。vanvanという楽器屋さんが当時竪町にあって、そこで知り合いました。こしじまさんは地元の歌の大会に出場している人で、僕は自分では歌いたくなかったから、一緒に活動しやすいかなと。ユニットというかたちですが、いまでも彼女に歌を頼んでいる感じです。それまでは親の影響もあって、インストしか聴いていなかったのですが、高校でクラブミュージックを中心につくり始めたときに、ボーカルもつくれないとプロの音楽家にはなれないかもと感じたんです。いまから思えば、手探りながら中3から高3までに就活していたというか(笑)、プロの音楽家になるためにどうすればいいか、対策を練っていたんだと思います。毎週やってくる図工の時間のように 高校卒業後に東京を目指したのは、ほとんどのレコード会社が東京にあったからです。いまのようにニコ動とかYouTubeがあれば地方で音楽活動するのも選択肢としてあったかもしれないけれど、それでも僕は東京に出てきていたんじゃないかな。だって、仕事を頼むならすぐに呼び出せて話ができる人がいいから。だから、自分が

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