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14 グローバルビジネススタイル自分との約束を守る。その先にやりたいことも夢も見えてくる。伊藤忠、ユニクロ副社長、起業、ファミリーマート社長と、流通の変革に挑み続ける澤田さん。昔から壮大な成功への夢を持って生きてきたわけではない。しかし、常に守ってきたのは“自分への約束”だ。約束は、自信となり、道を拓く。目の前の一瞬一瞬を生きた 僕は石川県吉野谷村(現・白山市)で生まれ育ち、村に高校がなかったこともあって、金沢の桜丘高校に進学しました。そのころまでは石川県を出るなんてことは考えていなかった。両親が教師だったので、自分も地元で教師になろうかなと思っていたくらい。でも、理系が好きだったので、理工学部に進みたいという思いが募って、1浪で上智大学の理工学部に入学しました。 大学時代はアメリカンフットボールに夢中でしたね。少年時代のヒーローが長嶋茂雄だった僕は、高校野球の強豪校だった桜丘高校で野球部に入ったのですが、自分の実力がそれほどでもないことがわかって、半年で逃げるように退部してしまいました。そんな高校時代の反省から、「アメフトは絶対にやめない」と決めて、全力投球したんです。おかげで最後はキャプテンとなり、弱小チームを率いて関東リーグで健闘するまでに。面目躍如というか、失った自信を取り戻すことができました。 将来の夢なんて、そんなたいそうなことは考えたことなかった。アメフトで強くなりたいのと、可愛い女の子とデートしたい、それくらい(笑)。目の前の一瞬一瞬を楽しむ、青春真っ只中の、極めて健全な大学生活でした。学生なんてそんな感じでいいんじゃないかな。真の商売に出会って、やりたいことが見つかった 卒業後は伊藤忠商事に入社しました。大学4年生のとき、NHKの『ザ・商社』というテレビドラマを見たんです。主演が山崎努と夏目雅子で、「世界を股にかけて活躍する商社マンってカッコいいな!」と。ただ4年間、アメフトとデートに熱中していたので、あり得ないくらい成績が悪くて(笑)、教授に「商社なんて絶対に入れない」と言われて。伊藤忠で活躍されているアメフト部の先輩たちが応援してくれなかったら、実際に入社できなかったかもしれません。 いちばん大きな経験は、先輩にいきなり責任者をふられて、半年後に取引先に契約を切られたこと。売上100億円の損失でした。正直その時は「俺をハメたな!」と恨みましたが、根っから負けん気が強かったので、「絶対とり返してみせる!」というファイトが湧いたんです。ポジティブに捉え、試行錯誤した結果、300億円の商談を成功させることができました。いまではその先輩のおかげで成長できたと思って感謝しています。 転機は12年目、34歳の時。全世界でセブン・イレブンを経営していたアメリカのサウスランドという会社の業績が悪化し、イトーヨーカ堂と伊藤忠でその会社を買収して再生するというチームの責任者に任命されました。これは実に貴重な体験だった。イトーヨーカ堂の担当者が現場に入って問題点を一つひとつ整理し、アメリカの経営人に提示していくんです。たとえばサンドイッチ工場をどうやってつくるか、物流の効率化をどうやって図るか、ものすごく具体的で現実的な事柄を自分事のように一つひとつコツコツと進める。その結果、会社は劇的に変わりました。商社もやりがいのある仕事だけれど、お客様との接点を直接持って、そのニーズに瞬時に対応して市場をつくっていくことに、僕は強い憧れを感じた。自分のやりたいことが明確にわかったのです。 38歳で伊藤忠を辞め出会ったのが、ユニクロを運営しているファーストリテイリングの柳井正さんです。当時はまだ山口県の小
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