emotion
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松井秀喜選手と2ショットニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手もニューヨーク出店を喜んでくれた。宮森さんは、「目標を持ってやれば必ず実現できる」ことを実証した。リムジンでタイムズスクエアをぐるっと回って、「絶対この街に帰ってくるぞ!」と叫んだ(笑)。と言われたり、自信のある企画をボツにされたりで、「能力のある人が報われる会社にするには、自分が社長になるしかない」と思うようになりました。また、インターネットの普及とともに旅行業界全体が右肩下がりとなり、働き盛りの29歳なのに未来の見えない業界でどうやって生きていくのか、という不安も抱えていました。 そんなとき、松井秀喜選手が読売ジャイアンツからニューヨーク・ヤンキースに移籍して、忘れもしない2003年4月8日の開幕戦で満塁ホームランを打ったんです。僕はずっと松井選手のファンだったので、その試合をテレビで見ていたのですが、心から感動した。松井選手は僕よりひとつ年下で、すでに「石川県のヒーロー」でしたが、その松井選手が、海を渡ったアメリカでも活躍している!と。 その瞬間、思い出したんです。専門学校時代、アメリカに短期留学したときのことを。最終地がニューヨークだったのですが、ヘリコプターでマンハッタンの夜景を見て衝撃を受け、そのあと、リムジンでタイムズスクエアをぐるっと回って、仲間と「絶対この街に帰ってくるぞ!」と叫んだ(笑)。「そうだ、俺もニューヨークに行くんだった!」と思い出したわけです。松井選手に負けていられない、金沢で腐っていられない、自分も世界へ挑戦するんだ!と。それで、その年に旅行会社を退職して、起業することにしました。東京での成功は1日20時間の労働から  8月になるまで「何をやれば世界に行けるのか」と考え抜き、カレーを選びました。もともとターバンカレーという1971年創業の元祖「金沢カレー」の店があって、その味が好きだった。この味なら東京でも世界でも、十分勝負できると思い、4カ月間の店舗修行を経て、30歳になった日に会社を設立しました。新宿に1号店を出したのは、2004年5月5日のことです。「ゴーゴーカレー」という店名は松井選手の背番号55番にちなんで。他にも当時はメニューの価格、営業時間、オフィスや各店の電話番号、開業日に至るまで「55」で統一しました。 最初の苦労はやはり東京での店探しです。不動産屋から門前払いの日々。「何をされていますか?」「これからカレー屋をやります」「どこから来ました?」「石川県です」「ご希望は何坪ですか?」「広くもなく狭くもなく」「家賃は?」「安ければ安いほど」「あんた、ふざけてんの?」というコントみたいな感じで(笑)、実績がないから契約に至らないのです。3カ月間、毎日東京の主要駅を回りました。でも熱意というのはいつか伝わるもの。ある不動産屋さんに「明日9時に来なさい」と言われ、翌朝伺ったら、物件の資料をどっさり18

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