emotion
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25珠洲に初めて来た時(1987年)の2ショット右が幸治さん、左がキャロラインさん。友人が記念に撮影してくれ、結婚の時に俳句を添えて贈ってくれたという。いちばん手っ取り早いのは旅ですね。世界を見る。人に出会う。多様性を知る。 心に響いたフレーズ、参考になったことを書こう………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………emotion noteた。帰るところがなかったというのもあるけれど、子どもがまだ4歳で、子どもを育てるのにはここは最高の場所だと思っていましたから。 珠洲焼は、ハルが亡くなってから始めました。窯焚きが“祭り”みたいで大好きで、それをしたかった。彼の作品を日常使っていたので、イメージがどんどん湧いてきました。もちろんイメージ通りにはなかなか焼き上がらないけれど、飽きないですね。 息子は中学からアメリカの学校に行かせています。去年、大学を卒業したので、仕送りの必要がなくなりましたが、「学生ローンの支払いが終わるまで帰ってくるな」と言ってあります(笑)。いつか彼も戻ってくるかもしれないし、そのまま戻らないかもしれない。でも、私はここが息子にとっての“故郷”だったらいいなと思っています。いろんな街や国を転々とする生活はとても楽しかったけれど、その分、私には故郷はなかったですから。 ひとつずつできると幸せが増していく 昔ハルからもらった手紙には、「日本にはもう残されていないだろうと思っていた里山の風景が、珠洲にはあった」と書いてありました。その通りで、私にとってここでの暮らしは毎日すごく刺激的です。たった13軒の村ですが、誰もが田んぼや畑に精を出し、家や仕事小屋の修繕も山から切り出した木々を使って自分で行う。そして自分だけでできないことは、互いに助け合う。以前は葬式も家で行い、村人たちが3日間手伝いに行っていました。地域で何でもやるんです。私は約30年かけて少しずつ地元の人たちの生活に近づいていっているという状態ですが、それでもひとつずつできたことを足していくと幸せ感が驚くほど得られます。田んぼは今年4年目ですが、自分でつくったお米を食べたときの感動は言葉で言い表せないくらい。田んぼ靴で畦道を歩くと、「能登人になった!」という喜びでいっぱいです(笑)。 「珠洲焼」は私の一部です。珠洲焼と田んぼ仕事と翻訳作業すべてでワンセット。どれかひとつ抜いてもいいというものではない。日々やりたいことがあって、もちろんすべてを達成させるのは不可能ですが、それでも一歩一歩先へ進んでいこうと思っています。以前、ある中学校から講演会を頼まれて、準備で宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を読んでいたら、自分の両親はまさにその生活ができていたんだな、と心打たれました。自らは質素な生活をし、人のために世界中を歩き回っていた、そんな両親のように私もなりたい。今後は子どもたちに英会話を教えるだけではなく、もっと広い範囲の人たちにこの里山の魅力を伝えていきたいと考えて奮闘しています。 若い人たちがやりたいことが見つからないのは、出歩かないからじゃないかな。ずっとパソコンや携帯電話に向かっているなんてもったいない。行動すれば、何か自然と見つかると思います。いちばん手っ取り早いのは旅ですね。世界を見る。人に出会う。多様性を知る。そうすれば、楽しいことも見つかるのではないでしょうか。でも、私は根本的に、人として「芯」ができていれば、どんな仕事・生き方をしてもいいと思います。それは、人間や動物たち、いろんな生き物への思いやり、それと地域や地球全体への心遣いを大切にする生活を目指すこと。そうすれば、いろんなことが見えてくるような気がします。
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