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26社会福祉法人佛子園 理事長雄谷 良成Proleおおや りょうせい 1961年、石川県生まれ。1985年、金沢大学教育学部卒業。青年海外協力隊(ドミニカ共和国、障害福祉指導者育成)、財団法人フンダシオン・オーサカ(ドミニカ共和国、医療過疎地病院建設)センター長、北國新聞社、金城大学非常勤講師等を経て、現在は、社会福祉法人佛子園理事長、普香山蓮昌寺(ふこうざん れんじょうじ)住職を務める。社会福祉法人佛子園宗教法人「行善寺」に戦災孤児たちを預かることから始まり、1960年、白山市に開設。50年以上にわたり、つねに福祉のパイオニアとして、既成の枠を超えた独自の福祉サービスを創造してきた。高齢者、障害者、子どもなど、みんながともに生きるコミュニティづくりを進めている。2014年3月に、そのモデルとなる「Share金沢」を街開きした。 地域LOVE・地域密着スタイル「誰かのために何かをしたい」と思って動いてみる。すると、自分の幸福度は大きくなる。「働く」ということは、当然、自分のためだ。でも、「誰かのために働く」という視点に立てば、相手からも喜ばれ、自分も幸せな気持ちになる。相手を思い、お互いに持っているものを共有してみることの必要性を、雄谷さんは伝える。ドミニカ共和国での青年海外協力隊時代1986~1987年ごろ。経済的には貧しくても、人々の心は豊かだった。どこに行っても“つながる”ことの大切さを知った。救われた命 私は現在、主に社会福祉法人の理事長と日蓮宗の住職として活動しておりますが、その原点は出自にあります。祖父は白山市で僧侶をしており、困窮状態にある戦災孤児を寺で預かって育てていました。それが20数人ほどまでに増えたころ、1960年に知的障害児の入所施設である仏子園を開設。翌年に生まれた私は、両親が施設で一日中働いていたことから、小学3年生まで障害児とともにそこで育ちました。彼らと実の家族以上に密接に関わり、障害の不思議を肌身で感じていたわけです。 ひとり忘れられない障害児の方がいます。幼稚園のときですが、施設裏のお墓で「一番高い墓石に登った子が勝ち」という罰当たりな遊びをしていました。ところが自分が登っている最中に墓碑が折れて落下。他の子どもたちは蜘蛛の子を散らすように逃げてしまったのですが、私より少し年上の障害児のひとりが助けを呼びにいってくれた。出血多量で心臓もいっとき止まるような大怪我だったので、彼のおかげで命拾いしました。その彼が18歳で卒園して社会に出て、雇用主から虐待にあったのです。3年も経っているのに園を出たときと同じような服を着て、給料も支給されていなかった。ひどい憤りとともに、ますます大学で障害と教育について学ぼうと決心、金沢大学教育学部に進学しました。 実家の社会福祉法人はいずれ継ぐつもりでしたが、まずは社会を見ておこう、世界を知ろうと考え、卒業後は特別支援学級の教師を1年半務めたのち、青年海外協力隊に応募。障害者教育の指導者を育てる教員として中米のドミニカ共和国に赴任して、4年弱働きました。赴任前というのは、サバイバルやコミュニケーション技術といった特別な訓練を3カ月ほど受けて、その後メキシコで1カ月の語学研修を受け、出発前には皇居に呼ばれてロイヤルファミリーと一緒に食事会をするんです。大理石の箱のなかに菊の御紋の入った恩賜タバコがあって、若いからゴソッとポケットに入れちゃ
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