4.地方創生とベンチャー

4.地方創生とベンチャー

本社を東京から金沢に移した理由

 私が代表取締役社長をつとめる株式会社白山は2016年10月1日から、登記上の本社を東京豊島区から石川県金沢市に移しました。
 結果的には東京23区から石川県に本社を移転した第1号となり、小さな企業にしては破格の扱いで地元新聞や地元テレビニュースでも取り上げていただきました。

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 皆さんに「なぜ、東京からわざわざ石川県に移したの?」と聞かれます。
 北陸新幹線の開通、地方創生推進の豊富な助成プログラムなどの理由に加えて、必ず私は「それは人のネットワークです。」と答えています。お客様、採用人材、 パートナー企業、研究機関、大学、公的機関等いろいろな立場や所属はあるものの、組織のガラを外すと全て人とのネットワークです。
 あまりにも人が多い東京では個々の人の顔が見えなくなります。不特定の無機質な黒い集合体になって、自身もその集合体に吸い込まれていく気がするときすらあります。 本当は東京でも人と人のつながりがあるのですが、それがあまりに高密度で重なり合うとあたかも黒い塊のような集合体になってしまうのかもしれません。ネットワークの形が 認識でき、一人一人がネットワークのノード(節点)としての独特の役割をもって貢献している(特異貢献)人的ネットワーク。これが魅力で私たちは東京から金沢に本社を 移転したのです。

シリコンバレーモデル

 同じように人のネットワークの魅力で全米から野心溢れるベンチャーが集まる場所の代表格がアメリカ・カリフォルニア州の通称「シリコンバレー」です。
 今さら感のある人も多いとは思いますが、簡単にシリコンバレーを紹介しましょう。

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 シリコンバレーを語るときスタンフォード大学の存在を外すことはできません。
 スタンフォード大学は1891年、鉄道王リーランド・スタンフォードによって設立された私立大学です。スタンフォード家の馬場であり、米国最大のサラブレッド飼育場で あった広大な土地に、亡き愛息を偲んで作られたこの大学は、スペイン風のレンガ造りで青空と緑と見事に調和しています(私自身も1991年から1年半ここで学ぶ機会を 得ました)。
 スタンフォード大学の校風は、自由で創造性を重視しますが、これは設立者スタンフォードの人柄と無縁ではありません。
 より速い競走馬を育てるための研究に夢中になった彼は、この馬場にカメラを24台並べ、シャッターから糸を伸ばし、走行中の馬がその糸を次々に切ることによって 分解写真を撮る仕掛けを思いついたのです。こうしてでき上がった動く写真が、走る馬の4本の足がいずれも宙に浮いているという決定的な証拠となり長年の議論に終止符を 打ったと同時に、後の映画の始まりとなりました。
 1938年、このような校風をもつスタンフォード大学で教える一人の教授、フレデリック・ターマンがのちにシリコンバレーと呼ばれるこの地域をベンチャーのメッカに するきっかけを作りました。
 ターマン教授は、ふたりの学生ヒューレッドとパッカードがパロアルトのガレージで開発を進めていた発信器の商品化と会社の設立を後押ししました。これがご存知の ヒューレッド・パッカード(hp)社です。当時杏畑しかなかったこの地で優秀な学生を留める方法は、学生自身が自分のアイデアで会社を起こし、大学が全面的にそれを サポートする、というターマン教授が考え出した方法しかなかったのです。就職先企業が無いなら自分で作るのが一番、というわけです。
 かくしてスタンフォード大学は、学生を起業家として育成し、支援するという、世界で稀に見る産学共同体システム、ベンチャー育成システムを作り上げたのです。
 この作戦は大成功でした。曇天と権威主義的、階層的な東海岸から、独立心旺盛な才能ある自由人が、抜けるようにオープンな青空の地を目指してシリコンバレーに集まって きたのです。
 ここに集う人々は、自分自身が最も得意とするところを主張する一方で、ビジネスプロセスで必要な他の機能は全てパートナーとの連携によって実現します。したがって 人と人のネットワークを非常に重要視します。
 このような個人の行動様式がそのまま企業のあり方にも投影されています。国領二郎が"オープンネットワーク企業"と呼ぶ典型的なシリコンバレーの開発型企業は、 コアとなる専門に特化し、最適なパートナーとのネットワークにより商品やビジネスを具現化しています。製品やサービスのコンセプトとコア技術開発、そして完成品の 検査と出荷だけを行い、設計、製造、組立、などの全ての工程はパートナーに依存しています。流通チャネルやメンテナンスまでパートナーとの協業/分業によっています。 そこには上下関係はないフラットなパートナーシップがあります。買い手であるユーザーもパートナーです。"お客様は神様"ではないのです。
 このような個々の特異な貢献ができるノード(節点)とそれらをつなぐリンクからなるネットワークが、環境変化によって自らを柔軟に変化させることのできる柔構造体を 形成し、あたかもこの地域全体を一つの企業体のようにふるまうことを可能にしたのです。米国の幾度とない経済危機においてシリコンバレーが持続可能(サステナブル) であった秘密はここにあるのです。

石川県の地をシリコンバレーにしたい

 シリコンバレーへの思い入れが過ぎて、解説が少々長くなりました。
 私の個人的な夢は、石川の地を日本のシリコンバレーにすることです。
 最大の理由は、私の個人的なシリコンバレー体験にあります。
 既に25年も前のことですが、時はインターネット黎明期。のちのインターネット界やIT界の世界的大物の若かりし頃を直接目撃する機会に恵まれたことです。 彼らは実にオープンで、カフェに置かれた紙のテーブルクロスにクレヨン(店が砂糖と同じように色クレヨンをテーブルの上に置いていました)で自分のアイデアを描いては 議論する光景をいつでも見ることができました。そのパッション(情熱)は大変なものでした。
 私の目には今でもそのような光景が強い刺激となって消えることはありません。
 「そんな光景は大昔の話だ」とおっしゃる人もいるでしょう。おそらくその通りだと思います。
 私が実現したいのは、しかし、そのころ自分の目で目撃したシリコンバレーの光景を、リソースの面では申し分のないここ石川県の地元で再現したい、ということです。 そして石川県から世界に発信したい。心からそう思っています。
 そして、その実現の決め手が、今、この拙文を読んでくださっている皆さんだと思うのです。

2016/10/19
文責 米川 達也