12.社長から社員へのメッセージ(8)

12.社長から社員へのメッセージ(8)

 今回も社長として社員に向けたメッセージの中から皆さんにも役に立ちそうなものをピックアップしてお送りします。

 

<独(ひとり)を慎(つつし)む>

 人類に与えられた大きな試練のようなコロナ感染ですが、「コロナ」と「その後の不況」は、 いろんな意味で改革するチャンスです。

 最新の技術を使いながら、「生き方」や「働き方」を根底から見直す機会でもあります。
 社長という立場の私にとっては、「経営の本道」に立ち返る機会でもあるでしょうし、頼り過ぎていた姿勢を改め「自力」をつけるチャンスだとも考えています。
 「応急的な対応」ではなく、「本質的な立て直し」の機会にもなるとも思っています。
 多少哲学的にものを考える貴重な機会にもなっています。

 そんな思いもあって、この機会に中国古典の『大学』を読み始めました。もちろん現代語訳です。
 その昔、どの小学校にもあった二宮金次郎の像が薪を背負いながら読んでいる本が、儒教の原典である『大学』です。その教えは、個人の修養から、家庭の道徳、社会の倫理、そして天下国家をどう治めるか、政治にまで及びます。

 『大学』で重視されているのが「徳」です。「徳」を身につけるためには「意を誠にする」ことが大事だと書かれています。「意を誠にする」とは「自分を欺かない」、つまり「自分にウソをつかない」ということです。
 「自分を欺かない」ために身につけるべき習慣が、今日ご紹介したい「独(ひとり)を慎(つつし)む」(慎独:しんどく)という教えです。
 『大学』には「君子は必ずその独りを慎むなり」と書かれています。
 「君子は人が見ていようがいまいが、自らの気持ちを引き締めて正しい行動をとるものだ」という意味です。言い換えれば、「人が見ていないときのたたずまいや行動こそ、その人間の価値を決める」と言っているのです。

 今回突然自宅でテレワークすることになった社員の皆さんのアンケートを総務人事部からお願いしていますが、おそらく多くの人にとって「やりたいことに集中できる」というメリットがある反面、「自律的に自己をコントールする」難しさを実感しているのではないでしょうか。
 そんな時、今日の「独りを慎む」を思い出してください。テレワークで仕事をしなくてはいけない今こそ、あなたの「徳」を磨くチャンスです。
 この困難は今しばらく続きます。どうか皆さんで力を合わせて一緒に頑張りましょう!

(参考:藤堂昌恒「『大学』を学ぶ」ちとえ藤堂塾)

 

<「太陽の思考」>

 以前、「昆布の思考」や「ミットの思考」で紹介した精神科医の野村総一郎さんの言葉に、「太陽の思考」があります。

 どんな組織にも「人知れずがんばっている」という人はいるものです。みんなが嫌がる仕事を黙ってやってくれたり、誰に頼まれたわけでもないのに事務所の掃除や面倒な対応を進んでやってくれる人がいます。しかし、そのような陰の努力や貢献が必ず評価され、報われているかというと、そういうわけではありません。評価どころか気づいてさえくれないこともあるものです。もともと人に認められたり評価されようとして始めた訳ではないにせよ、やはり人間ですから、がんばれば誰かに認めてもらいたいというのが人情です。
 誰にも認めてもらえない寂しさから「なぜ私ばっかりこんな思いをしてまでやっているんだろう」と疑問が芽生え、心がくじけそうになる人に、野村先生は、以下の老子の言葉を教えます。
 「天網恢恢(てんもうかいかい)、疎(そ)にして漏らさず」
 (天の網の目は一見粗いようだけど、決して悪を見過ごすことはない。)

 これを野村先生は、「悪いことをしても、良いことをしても、お天道様(おてんとうさま)はちゃんと見ている。」と訳しています。これが「太陽の思考」です。

 今回この言葉を思い出したのは、テレワークで家にいる時間が長くなり、妻が人知れず毎日家の隅々まで掃除をしたり、洗濯や買物をしたり、料理を作ったりして家族が生きていくために相当量の労働をしていることを改めて知り、今までそれに気づきもしなかった自分を反省するとともに改めて妻に感謝する気持ちになったからです。(その後習いながら少しずつ手伝い始めています。念のため。)
 私が、家が整っていることを気にも留めなかったにもかかわらず、妻が「気づいてくれもしないのにばかばかしい」と怒り、それをやめなかった理由は、彼女にとっての「お天道様」とは他の誰でもない「自分自身」だったのかもしれません。

 「自分のがんばりが伝わらない」と嘆きたくなったときには、あなた自身が、あなたを毎日見つめている「お天道様」だと考えると良いのではないでしょうか。
 「これくらいなら」と、誰も見ていないことをいいことに甘えの気持ちが浮かんだ時にも、自分自身の良心という「お天道様」が毎日自分を見つめていることを思い出してください。
 自分自身という「お天道様」とともに、お互いの人格を一層磨いていきたいものです。

(参考:野村総一郎著「人生に上下も勝ち負けもありません」文嚮社)

 

<気づく力を磨く>

 コロナによる「巣ごもり」生活の中で、家のトイレ掃除を担当するようになってから、今まで気づかなかった汚れが気になるようになってきました。一所懸命掃除をすることで汚れに「気づく力」が磨かれてきたのかもしれません。「汚れ」を問題点だとすると、「問題点に気づく感性」、いわば「問題発見力」が磨かれてきた、と言えるかもしれません。
 本日、別メッセージ「人生をひらく100の金言」でご紹介した鍵山秀三郎さんの言葉の中に、「清掃清潔は、仕事の質を良くする」とありますが、まさにこのことを言っているのです。掃除清潔は「気づく力」を養う修行であって、これが習慣になっている人の仕事の質は常に高い、ということです。

 「気づく力」は会社の将来の決め手にもなります。
 経営の神様P.F.ドラッカーは、「企業にとって今日行うべき仕事は、①今日の事業の成果をあげる。②潜在的な機会を発見する。③明日のために新しい事業を開拓する。」と言っています(創造する経営者)。
 このうち②の事業機会の発見には、「すでに起こった未来」に「気づく力」を磨くことが重要だと説いています。
 未来を言い当てることは誰にもできませんが、今を観察することは誰もができます。誰の目にも見えている事柄から、「すでに起こった未来」に「気づく力」、それも表層的な変化に気づくだけではなく、そのことの持つ本質に気づく力、「知覚」を磨くことが大切だとドラッカーは教えています。

 コロナ禍の今、私たちの周りで起こっている多くの事柄が、100年に1度あるかないかの「すでに起こった未来」を表わしています。時とともに徐々に変化する「トレンド」と異なり、今回のような突然の「シフト」の影響は極めて大きく、また長期に及ぶものです。
 例えば、「マスク」。
 わずか3ヶ月前までは、世界中でなぜか日本人だけが良く使う安価な日用品だったマスクが、今や世界中で「国民の命と経済を守る国防用品」になり、奪い合いになっています。今まで安価にするためにほとんどが中国製だったこの製品は、今後国防のために急激に国内大手企業の生産にシフトしていくでしょう。
 会社内外の多くのプロセス(あの"ハンコ"文化を含め)が場所を選ばないITに置き換わり、立派な本社ビルはステータスを示す以外は無用の長物となり、一人の労働力を複数の企業で分かち合う「従業員シェア」になると、企業の姿は全く違うものになるでしょう。
このような時代の到来に備えて、私たちの「気づく力」を磨く機会にしたいものです。

 

<あなたは自分の小さな「箱」に入っていませんか>

 今日は、私が皆さんにお薦めしたい本の話です。
 私は10数年前にこの本と出会って、人生が変わりました。それも半端じゃなく、もう本当にそれこそ「ガラッと」変わりました。以来、何度も繰り返して読んでは人に譲り、何度も買い直しています。
 その本は、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』(アービンジャー・インスティチュート著:大和書房)という緑色の本です。

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 私たちは常に人と触れ合って生きています。職場の中、取引先、家族、友人、ご近所、などの様々な関係の中で、様々な問題に直面します。しかしそれらの問題は突き詰めると人間関係の問題である場合がほとんどです。そして私たちは、人間関係の問題に遭遇するたびに、問題を起こしているのは必ず相手であり、自分は被害者なのだ、と思います。悪いのは相手であって、間違っても私ではない。このような心理状態を、「箱に入っている」と言います。
 「箱」に入っている間は、決して問題は解決できません。それどころか相手も「箱」に引き込み、閉じ込めてしまいます。相手も、悪いのは相手で自分は正しいと思っているのです。

 満員に近い朝の通勤電車に、おばあさんが乗ってきます。今朝はたまたま座れた私は、"席を譲らなくちゃ"、と思いますが、少し場所が離れていて、私たちの間には何人か立っている人がいます。みるとおばあさんの前には学生らしい若者が夢中にスマホをいじって気がつかないようです。その隣のサラリーマン風の男は、足を投げ出して寝ています。
しだいに私は腹が立ってきます。
 今朝明け方まで仕事をして疲れている私には座る権利がある。それでも譲ろうと席を立った途端に目の前で立っているこの男が席をとるに違いない。おばあさんの前でスマホゲームに夢中な学生や足を延ばして「狸寝入り」しているサラリーマンこそ席を譲るべきだ。
 そのうち私は、こう考えます。(大体わざわざ通勤時間に乗ってくる年寄りが問題だ。)

 こうして私は「箱」に入ります。正しい行為をしようとした、かわいそうな私。それに比べて、目の前の男も、学生も、サラリーマンも、そしておばあさんも責められるべきだ。私は特別に尊重されるべき「人間」であり、一方彼らは迷惑な「モノ」でしかない。これが「箱」に入ったときの心理状態です。

 私が「箱」に入ったのはいつか。それは"席を譲らなくちゃ"と思ったにもかかわらず、それを実行しなかった瞬間です。自分の感情を裏切ったときです。その瞬間から私は自分への裏切りを正当化する「自己正当化」の材料を必死でかき集めます。補強するために「被害者」である理由も考え尽くします。これが人が「箱」に入るシンプルなメカニズムです。

 どうやったら「箱」から出られるかは、是非この本を読んでマスターしてください。
 ちなみに、この本を10数年繰り返して読み続けている私は、今や「箱」に入ることも「箱」から出ることも自由自在にできるようになりました。冒頭、私の人生が変わった、と言ったのはこのことです。(まだまだ怪しいです、本当は(笑)。)

 

<株主第一主義からSDGsへ <会社の目的の変遷>>

 1602年、今から420年前に「オランダ東インド会社」がスタートします。昔、教科書で習った初めての株式会社です。カンパニー(company)の語源は、「一緒にパンを食べる仲間」。当時金銀と同じくらい高価だった香辛料をアジアから仕入れるために、航海に出す船を建設するための出資者を募り、胡椒や香辛料を仕入れ、その儲けを出資者で分け合って解散する、という画期的なビジネスモデルが出来上がります。このモデルでは「出資者=株主」が重要な役割を担います。これが西欧でスタートした「株主第一主義」の始まりです。
 これと対照的に、日本では大店(おおだな)の商売は「大家族主義」が主流でした。13歳くらいの奉公人から基本的な教育をし、店の繁盛のために家族同然にともに生活する「人間作り」をすることがとても大切な経営戦略でした。
 「大家族主義」とともに日本のビジネスを特徴づけたのが、近江商人の「三方良し」の考え方です。今の伊藤忠商事創業者・伊藤忠兵衛が広めたという「売手良し、買い手良し、世間良し」という考え方は、「売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならない。」という、顧客満足と経済活動と社会的責任の三方両立を謳い上げた、先進的なものでした。「三方良し」を旨とする大店はその儲けの一部で、老朽化した橋や堤防、寺子屋などの修復に資金を出していましたので、その店がつぶれないように地域住民が支えるWinWinのパートナーシップが見事に成り立っていたのです。

 欧米追従が当たり前だった日本の経済界が「株主第一主義」になりきった2019年8月、アメリカのトップ企業が集まる経営者団体が、何と脱「株主第一主義」を掲げます。①顧客への価値提供、②従業員の尊重、③取引先との公正な取引、④ 地域社会の支援を行い、その結果として⑤株主への長期的価値の提供だ可能となる、というものです。
 「ステークホルダー主義」、言い換えると「五方良し」です。欧米が400年経って、日本型を取り入れた瞬間です。

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 これらの変遷の結果、今、世界が2030年の共通のゴールとして掲げた企業の目的がSDGs(エスディージーズ)です。私の解釈では、近江商人の「三方良し」にその原型があります。このSDGsの最大のメッセージは「世界中の誰一人として置き去りにしない」(No one will be left behind)という、ものすごい覚悟です。
 今後1年間位かけて、私たちもSDGsのゴールと向き合っていきたいと思っています。

2020/07/28
文責 米川 達也