15.社長からのメッセージ(11) 

15.社長からのメッセージ(11)

今回も社長として社員に向けたメッセージの中から皆さんにも役に立ちそうなものをピックアップしてお送りします。

 

<困っても困らない>

 松下幸之助の言葉です。
 "ひろい世間である。長い人生である。その世間、人生には、困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。程度の差こそあれだれにでもある。自分だけではない。
 そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かがきまるといえる。困ったことだ、どうしよう、どうしようもない、そう考え出せば、心がしだいにせまくなり、せっかくの出る知恵も出なくなる。(中略)
 困難を困難とせず、思いを新たに、決意をかたく歩めば、困難がかえって飛躍の土台石となるのである。要は考え方である。決意である。困っても困らないことである(以下略)。"(『道をひらく』松下幸之助 PHP研究所より )

 幸之助は、起きたことよりもそれをどうとらえるかが大事だ、と教えています。そこで決意を新たにすれば「困難がかえって飛躍の土台石となる」と言っています。
 かつてダスキン創業者の駒井茂春さんの講演を聞いて驚いたことがあります。息子さんが乗ったバイクが車と衝突して息子さんが重傷だという一報が入ったとき、駒井さんは「なんとありがたいことだ!」と口走ったというのです。周囲はびっくりしましたが、駒井さんは「神様が息子に越えるべき試練を与えてくれた。しかも命は奪わずに。これで息子は大きく成長できる。なんとありがたいことか。」と考えたというのです。
 最初の一撃に弱い人がいます。困難に出くわした途端に弱気になって後ずさりして二度と前に出られない。それが習慣になって、「自分だけが不幸だ」と思う癖のある人です。しかし幸之助の言うように「困難がかえって飛躍の土台石となる」と考えて、「大丈夫、なんとかなる」、あるいは「よしわかった。そう来るならこうしよう。」と考えた方が人生楽しく生きられます。
 今回R&Dチームの努力にもかかわらず国の助成金の選に漏れました。私はこの落選の報に、瞬間的に「ラッキー」と思いました。「助成金の面倒な手続きの時間から解放される。自分のカネで進めるのだから緊張感、使命感も増し、おカネの有効な使い方により多くの知恵を出してくる。よってメンバーの成長のきっかけになる。リーダーの覚悟も、外部協力者の本気度も分かる。そして何より社長としての自分自身の本気度を測ることができる。」と思ったのです。
 私は、自分が「ラッキー」と自然に思えたことで、自分自身の研究開発に対する本気度が確認できました。助成金に頼らずにでも、白山の明日を生み出すこの研究開発を成功させようという意を強くしたのです。
 今回期せずして、「困っても困らない」を実践する機会を得ることができました。
 「困難がかえって飛躍の土台石となる」と言える日が来ることを固く信じています。

 

<皆さんとの"1on1"対話会を始めます>

 今週から、皆さん一人ひとりとの対話会を行いたいと思います。時間は一人30分です。忙しい中、大変に申し訳ありませんが、30分だけ時間を頂きたいと思いますので、よろしくお願い致します。
 コロナ禍で直接のコミュニケーションができなくなって9ヶ月、今回はリモートではありますが、皆さんの顔を見ながら、皆さんの近況、緊急ではないけど課題や困っていること、小さくても良いので気づいたことや学び、良かったこと、次にチャレンジしたいことなどを、「ざっくばらんに」、「オープンに」聞かせてください。米川への要望も、もちろん大歓迎です。
 決して評価面談ではありません。何を話しても評価には関係しません。安心して、リラックスして本音でお話を聞かせてください。私から話すのは極力控えて、皆さんの話を聞くことに徹するつもりです。「皆さんの30分」にしたいと思っています。
 皆さんに貴重な時間を割いて頂く以上、目的を明確にしなくてはいけません。
 この対話会、「1on1(ワン・オン・ワン)ミーティング」は、私が皆さん一人ひとりに一層関心をもち、対話によって皆さんの『やる気』を引き出し、成長を促し、ひいては仕事の質を上げて成果につなげていこうというのが目的です。ストレートで申し訳ありません。

 組織の中に信頼関係が存在しなければ、組織の成果は上がりません。信頼関係を醸成するにはお互いに相手の話をきちんと聞くことが重要です。今の白山の中にも、組織のあちらこちらで人間関係でぎくしゃくした現象が存在するのも事実です。そしてそれは個人の悩みにもなっています。会社で起こる問題も個人的な悩みも、その大部分は人間関係のねじれ、すれ違い、摩擦が原因です。そしてその人間関係の問題はコミュニケーション不足によって信頼関係ができていないことが原因です。
 私は6年前に社長に就任して以来ずっと『必死のコミュニケーション』が必要だと言い続けてきました。他人の集団である会社の中で、「あうんの呼吸」は存在しません。会社という寄合所帯で、他人同士が一丸となって、一人ではなし得ない共通の大きな夢を実現するためには、徹底的にコミュニケーションを図り、信頼関係を確立することが必要です。コミュニケーションに組織図は関係ありません。上司と部下、同僚同士が、先輩と後輩が、組織の枠を超えてメッシュ(網状)でコミュニケーションを図ることが必要です。かしこまった話し合いをしろというわけではありません。ほんの一言、二言ことばを交わすだけでも良いのです。今日○○さんは顔色が悪いけど大丈夫かな、と気づき、困った人に寄り添うことが当たり前でなくてはいけないと思います。普段からコミュニケーションをとっていれば、ちょっとした顔色の変化にも気がつくはずです。
 私との1on1をきっかけに、コミュニケーションのメッシュが広がることを期待します。

<『善快体験』を積もう>

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 図をご覧ください。「善」と「悪」、「快」と「苦」という4つの字が並んでいます。私たちは子供のころから、「良いことは苦しい」、「悪いことは心地よい」という印象をもつ経験を多く積んでいます(図の太い線)。例えば、「良いこと」であるはずの勉強は、同時に親にうるさく言われ負担になる「苦しいもの」であり、いたずらや落書きや買い食いといった「悪いこと」は、心ゆくまでやる前に親や大人に禁止されるので、さぞ「快いもの」に違いないという印象を積み重ねてきました。「善にして苦」、「悪にして快」が強い印象として残っているのです。
 「良いこと(善)は苦しい(苦)」という図式はそのまま「苦しいことは良いこと」という意識を形成し、逆に「悪いこと(悪)は心地よい(快)」という図式は「楽なことは悪いこと」という、いわば軸のねじれた意識を形成します。「厳しいスパルタ教育をしないと優秀な人間にはならない」という根性主義や、「仕事は楽になると品質が落ちる」と昔ながらの不合理なやり方にこだわる職人主義などがその例です。「かわいそうな私は善良だ」という感情もこの類かもしれません。
 善に苦を予感し、悪に快を予感する「善苦悪快観念」は、「公的なことや人のためになることは、自分を犠牲にする苦しいことだ」と連想させ、「自分の利益をはかるためには人の犠牲はやむを得ない」という「自他(公私)対立観念」を呼び、自分のためなら他人の犠牲もいとわない利己的な人間を生み出していくのです。
 今、世界は自国中心の利己主義に陥っています。自国の利益のためには、他国は犠牲になるべきであるという主張がまかり通っています。新型コロナが世界を同時に襲っているこの時に至っても、利己的なリーダーが自国だけを守る利己主義は地球上に蔓延しています。
 この地球のサステナビリティーの危機を救うためには、緑の森を取り戻すために木の一本一本が緑の葉をつけることが必要であるように、私たち一人ひとりが利己心を克服していく必要があります。自分のために人や公を犠牲にするのではなく、人の喜びや公のためになることを考え、実行していく。それが花咲き、人々の喜びが自分に戻ってくる。これが「善にして快」、すなわち「善快体験」です。
 ちょっと難解な言い回しでここまで来てしまいましたが、要するに、「喜んで人の役に立つ」ことです。人が喜び、社会の役に立つことが自分にとっても大きな喜びになる。そんな体験を積んでいくと、いつしか「善苦悪快観念」は影を潜め、善と快、悪と苦が結びつく線が太くなっていくはずです。そのような仲間が増えていくことが、社会を豊かにし、地球を救うことになっていくのです。
 参考文献:大和信春著「公益革命」(博進堂2009年)
      大和信春著「和の実学」(博進堂1999年)

 

<Resolutionと予祝(よしゅく)>

 新年の決意のことを英語ではNew Year's Resolutionと言います。画像の"解像度"を意味するレゾリューションと同じつづりです。なぜ、"決意"と"解像度"が同じ単語なのか変に思い辞書を繰ると、resolutionには、分解、分析、決心、解決といった多くの意味があることが分かります。試しにこれらの間に矢印を入れてみると、分解→分析→決心→ →解決
 どうでしょう。面白いことに気がつきませんか。 決心と解決の間に「実行」を挿入すると、分解→分析→決心→実行→解決 と問題解決のプロセスが全て並びます。すなわち、「あと実行さえすれば問題が解決する」という、「引き寄せの言葉」がresolutionの真の意味なのです。

 日本にも古来から「予祝」という風習があります。春の桜の花見も、夏の盆踊りも、全て1年で一番大事な秋の豊作をあらかじめお祝いし、あらかじめ神々に感謝することで、その実現を「引き寄せる」ための風習なのです。
 この予祝の効果は絶大です。かつてプロ野球の長嶋茂雄は、初の天覧試合の前の晩に、買い集めたスポーツ紙全ての1面トップに太いマジックで「長嶋、初の天覧試合でサヨナラホームラン!」という大見出しを書いてそのとおり実現したといいますが、この類の例は枚挙にいとまがありません。

 私も年の始めにこの予祝をやることにしています。今年の最終日の自分になりきって、「2021年の10大ニュース」を書くことです。「〇〇できました!ありがとうございます」と書いて、今年の目標を成し遂げた自分や社員の皆さんを想像して気持ちの上で前祝いするのです。「だけど、あれはシンドかったよな。」「まさかあそこであんな邪魔が入るとはなぁ」といった苦労話の先取りもしながら、「何とか乗り切った」1年先の自分や社員の顔を想像して前祝いするのです。

 「米川はそんなに楽観的なのか」と思ってはいけません。以前このコーナーで書いた「ストックデールの逆説」を思い出すか、読み返してください。
 予祝は、ストックデール将軍のいう「どんな困難にぶつかっても、最後には必ず勝つという確信をもつこと」にほかなりません。必ず訪れるであろう様々な困難を乗り越える覚悟があってこそできることなのです。
 待っていれば「クリスマスには収容所から出られる」と考える楽観主義者ではダメなのです。「クリスマスが近づき、終わる。次に復活祭までには出られると考える。そして復活祭が近づき、終わる。次は感謝祭、そして次はまたクリスマス。失望が重なって死んでいく」。ストックデール将軍が戒めている、そのような楽観主義者には予祝はできないのです。
 業績が好調ゆえにゆるんでいると思ったら、この話を思い出してください。

 

<今年のことばは「使命探究」です>

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 既に発表していますので、もう職場には私が元旦に書いた「使命探究」の四文字が掲示されていると思います。今日は、なぜ「使命探究」なのか、その意味をもう少し深くお伝えしようと思います。
 仕事をうまく進める原則は、「やることを決め、決めたらそれを徹底的にやる」ことです。「徹底的」の基本は量をこなすことです。イチローが一流のバッターになった原点は、高校時代3年間1日も休まず続けた10分の素振りだと言われていますが、そのような量の積み重ねがプロフェッショナルの基本条件です。コツコツと「量」を積み重ねていくと、あるとき、それが「質」に転化するのです。ただしそれはいつ来るか分かりません。1年後か、3年、5年かかるのか、ひょっとしたら10年後に初めて量が不連続に質に変わるかもしれません。だから仕事には覚悟が必要なのです。覚悟を決めて、徹底的に積み重ねていくことが必要なのです。
同じように積み重ねていっても、比較的短期間の間に「質への転化」が起こる、すなわちプロフェッショナルへの階段を1ステップ上がる人と、そうでない人がいます。
 この違いは「アウトプットする習慣があるかどうか」と「考える習慣があるかどうか」の違いです。
 「アウトプットする習慣」というのは、学んだり、見たり、聞いたりしたことを、話したり、書いたり、実践したりすることです。学生時代はテストという、とてもありがたいものがありましたが、社会人にはありません。ネットや本で情報をインプットはしても、それを自分の言葉でアウトプットとしてまとめて発表しろ、といわれた途端に途方にくれ、何も自分の身についていないことに気づく人も多いでしょう。書いて記録する習慣や、社内講師を買ってでて人に教える経験をするなどがアウトプットの習慣をつける優れた方法です。
 もう一つ、そしてもっと大切なのは「考える習慣」です。本人は考えているつもりでも、実は悩んでいるだけ、答を出せずに困って堂々巡りをしているだけ、という人がいます。考えるというのはもっと積極的なことです。
 考えるときに大事なことは、「なぜやるのか」「何のためにやるのか」を考えることです。
 さらに言うなら「本当にやりたくてやるのか」、あるいは「それが自分の使命だと確信してやるのか」ということを問わなくてはなりません。「その仕事を通して本当に世の中に貢献できるのか」という問いでもあります。
 この使命を深く問うことが、今年のことばの「使命探究」なのです。探し求めてウロウロする「探求」ではありません。自分の使命を、考え極める「探究」です。
 自分の「使命」、あるいは「天命」を追い求めることは、人生そのものの探究でもあると思うのです。「何のためにやるのか」「何のための人生なのか」を自らに問う一年にして頂きたいと思います。

2021/3/8
文責 米川 達也