今回も社長として社員に向けたメッセージの中から皆さんにも役に立ちそうなものをピックアップしてお送りします。
<灯台のように>
夜の嵐の海、灯台はしっかりと岸壁に立ち、いつもと同じ軌道の、いつもと同じ強い光を照らし続けている。荒波にもまれ、針路を見失いそうになった船は、灯台の安定した光を見つけ、それを頼りに進むべき方向を知り、遭難から逃れることができる。でもそれは全ての船ではない。中には灯台に頼らなくても自ら備えたナビゲータで岸までたどり着ける船や、ベテランの船長の力量で無事嵐を切り抜ける船もあるからだ。灯台はサーチライトのように、躍起になって全ての船を探し出し、灯台の光を必要としていない船まで自分の光で導こうとはしない。光を上下左右に動かすような灯台では、助かるはずの船まで遭難してしまう。灯台の役割はあくまでも「自分の光を必要としている船に見つけられること」なのである。
以上は、最近読んだ「顧客は追いかけるな!」(ジャン・ストリンガー他著;ダイヤモンド社)の冒頭の一節です。そしてこう続きます。
<すべての船(顧客)が、あなたの光を必要としているわけではない>
<"完璧な顧客"は、あなたがじっと動かないでいるときにあなたを見つける>
<ぜひ、"完璧な顧客"のみを引き寄せるために、動かないで立ち続け、あなた独自の光を放ち、そのパワーと明るさをしっかり保ち続けてもらいたい>
つまり、私たちは顧客数を増やそうと躍起になるのが営業活動だと思っていますが、この本によると、それは取り乱してあらゆる船を探し回って海岸で光を上下させている灯台のようなもの、その行為は徒労でしかない、というのです。
そうではなくて、自分たちにとっての"完璧な顧客"にターゲットを絞って、その顧客と長期的で満足度の高い関係を構築して、その顧客をゆっくり確実に引き寄せることの方がはるかに良いビジネスが展開できるというのです。
本を読みながら、そういうマーケティングを実践し続けている人を思い出しました。以前この欄で紹介したことのある、NTTグループで常に全国3位以内の粗利額を上げて表彰されていた石川・七尾営業所の女性販売員のAさんです。どう考えても全国一の需要があると思えない七尾エリアで、全国トップの販売実績を上げ続けたAさんは、毎朝、用事があろうがなかろうが、お得意さん企業に出かけて、挨拶しながら会社の中をぐるっと一回りします。するとどの会社でも、「ちょうどいい所にきた。」「Aさん、コレ、頼んわ」と、まるで御用聞きのクリーニング店員に洗濯物を出すように通信機器を注文する人が集まってくるというのです。まさに「自分の放つ光を必要としている船に見つけられる灯台」です。そこには、普段の何気ないコミュニケーションや誠実な仕事ぶりが、「完璧な顧客」を引き寄せる光景があったのです。
サーチライトのような営業活動で顧客獲得競争に疲れ果てるのでなく、独自の光を放ち続けて、その光を必要とするお客様に頼られ続ける、灯台のような会社になりたいものです。
<アスリートから学ぶ感謝の力>
今日は私が尊敬している映像制作会社㈱ブロックスの西川社長が自身のブログで書かれた文章を、ご本人の了解を得て転載します。感謝する心の大切さが伝わってきます。
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いろんな問題を抱える中で、開催が1年延期され、東京オリンピックがいよいよスタートしました。無観客の舞台はやはり寂しい気がしましたが、それでも自分の持てる力を全力で出しきり、目の前の勝負に挑むアスリートたちを見ていると、どんな舞台であろうと彼らには関係がないのもしれないと思い、たくさんの感動をもらっています。
今日までに、柔道、競泳、スケートボードと日本人のメダルが続いていますが、私は試合後の選手たちのインタビューを聞いていて、皆さんが口々に「感謝の言葉」を述べられることに感動しました。確かに今年のオリンピックは開催自体が危ぶまれていたので、より、この舞台に立てたことに感謝の気持ちが湧いてくるのだと思います。しかし、それ以上に、今、ここにいるのは、自分を支えてくれた人たちのお陰だと心から感謝していることが伝わってきます。きっと普段から、感謝の気持ちを持ち続けていたからこそ、こういう場で、自分の嬉しさより、感謝が先に言葉になるのではないでしょうか。
松下幸之助さんも感謝の心を大事にされた経営者です。
「感謝の心があってはじめて、物を大切にする気持ちや人に対する謙虚さ、生きる喜びも生まれてくる。感謝という古びた思想と捉えがちだが、どの時代にもよらず普遍的に大事なこと」という言葉を残されています。
感謝の反対語は「あたりまえ」と言いますが、今、自分のまわりにあるものは「あたりまえ」、「してもらって当然」だと思っている人は、感謝の気持ちがない人です。そんな「あたりまえ」の有難さに気づけると、もっと頑張ろう、もっと人の意見を聞こう、もっとちゃんと生きていこうと前向きになれるのだと思います。
メダルをとるレベルのアスリートたちは、きっと、この「感謝する力」があったから、苦しい練習を乗り越えることもできたでのしょう。「自分のためにメダルと獲る」だけではなく、「支えてくれた多くの人の為にメダルと獲る」という新たな「目標を達成する目的」が加わったからこそ、達成への意志も強固になっていったのだと思います。
ビジネスも、同じかもしれません。感謝を忘れた人は、どこかで孤立的になるのではないでしょうか。感謝の気持ちを持っている人は、周りから愛されますし、応援もされるので、どんなことも乗り越えられるはず。それ以上に、自分が幸せだと感じているので、仕事も楽しいに違いありません。楽しそうな人のまわりに人も集まってきます。成功するには、技術も知識も大切ですが、やはり、それだけでなく、「感謝の心」など、人としての基本的なスキルがベースとして大事な時代なのだと思います。(株式会社ブロックス 代表 西川敬一)
<パッション(情熱)がすべての始まり>
皆さんが持っている携行カードの「新たな文化と仕事のしかた」の一番目に掲げた言葉が、「パッション(情熱)がすべての始まり」です。私の心からの叫びです。
松下幸之助さんも同じように、経営や仕事は情熱から始まると信じた人でした。3月11日にご紹介した「道をひらく」ではこうおっしゃっています。
"何としても二階に上がりたい。どうしても二階に上がろう。この熱意がハシゴを思いつかす。階段をつくりあげる。上がっても上がらなくても・・そう考えている人の頭からは、ハシゴは出てこない。才能がハシゴをつくるのではない。やはり熱意である。経営とは、仕事とは、たとえばこんなものである。"
ジム・コリンズの名著「ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則」で、ジム・コリンズは、"Good"から"Great"に飛躍した企業の共通点として、"三つの円"という考え方を示しています。3つの円のひとつが、「その仕事に情熱をもっていて、その仕事が好きでたまらず、その仕事をやっていること自体が楽しい」、「毎朝、目が覚めて仕事に出かけるのが楽しく、自分の仕事に誇りをもっている」というものです。残りの二つの円は「自社が世界一になれる」と「経済的原動力になる(儲かる)」です。やはり全ての始まりはパッション(情熱)だとおっしゃっているのです。
私の散歩コースに豊島区南長崎の「トキワ荘」があります。昭和30年前後から、当時マンガ家を目指す若者が全国から、この木造モルタルの2階建てアパートに集まり、ここで青春を過ごし、日本を代表するマンガ家として数多くの作品を発表していきました。手塚治虫、寺田ヒロオ、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄(藤本弘と安孫子素雄)、水野英子、つのだじろう等。(私は名前を列挙しながら感動で指が震えるのですが、皆さんはこのうち何人を知っていることでしょう。)オリジナルのトキワ荘は既にありませんが、当時を再現したトキワ荘の部屋の中からは、若き後の巨匠たちの「自分のマンガで日本中の少年たちに感動を与えたい」という燃え滾るような情熱が伝わってきて、今でも私の頬を熱くしてくれます。
私は小学4年生の頃、このトキワ荘の後継とも言うべき「スタジオゼロ」という、中野にあるおんぼろな木造のアニメスタジオによく遊びに行ったものです。そこには手塚治虫さんを除くトキワ荘メンバーがいて、赤塚不二夫さんやつのだじろうさんにマンガの書き方を習ったり、私の創造したキャラクターをドキドキしながら先生方に見てもらったり、ときには少年誌の編集部に連れて行ってもらったり、珠玉のような時間を過ごしました。あの時の興奮を今でも忘れることはありません。
そして今、あの時に負けないくらい熱い情熱をもって、皆さんと一緒に白山をより飛躍させることに取り組みたいと思っています。
何と言っても、パッション(情熱)がすべての始まりなのです。
<油断!>
1975年に出版され、作家堺屋太一を有名にした小説「油断!」。
中東戦争で石油を断たれた日本がなすすべもなく崩壊してゆく、かつての未来小説です。
その中のワンシーンで、遂に石油、電気、ガスなどあらゆるエネルギーが途絶え、日々数万の犠牲者が出る中、主人公小宮の机上の電話が鳴ります。
"(正常なのは電話だけだ)小宮はそんなことを思いながら受話器を取り上げた"
何かおかしいと思いませんか?
もうひとつ。
誤ってばらまかれた生物化学兵器の細菌が人類を滅亡させる、小松左京のSF小説「復活の日」。草刈正雄が主演をつとめる映画にもなったこの小説にもこんなシーンがありました。
廃墟と化した東京のビルの一室で、瀕死の女性が最後の力を振り絞って受話器を上げ、あてずっぽうにダイヤルを回すと突然声が聞こえてきます。女性がその声にむかって「助けて!」と叫ぶと電話の向こうから「関東地方の明日は晴れのち曇り、ところによりにわか雨でしょう」と天気予報を伝える無機質な声だけが聞こえ続ける・・。
もちろん実際にエネルギーが途絶したら通信電力もなくなり電話がつながるはずはありません。しかし、かの堺屋太一や小松左京という知識人にして、エネルギーが途絶した地球滅亡のときでも電話だけは正常につながるものだと錯覚していたのです。それくらい当時の電話は、何が起こっても途切れない社会インフラとして信頼されていたのです。
当時、電電公社でダイヤル式"黒電話"を開発していた私は、2冊の本のこれらの箇所に線を引いて、ちょっと誇らしげな気持ちになると同時に、自分たちが「信頼のブランド」を作っている、という社会的責任の大きさに身の引き締まる思いをした記憶があります。
同じように多くの日本の大手企業が誇っていたはずのこの「信頼のブランド」の崩壊が、いつのころからか始まり、そして発生し続けています。最近では大手電機メーカーの車両用空調など多くの社会インフラ製品が、30年以上の長年にわたって品質不正をしていたことが明るみに出ました。
30年以上も引き継がれた品質不正問題も、全て一人の人間の作為から始まっているはずです。何かの事情で、職業上の倫理観が抜け落ちるきっかけがあったのかもしれません。その後もおかしいと思った人が大勢いたはずです。しかし時を経てそれが当たり前になっていき、不正を不正と思わなくなり、常態化していく・・。
信頼ブランドが崩れるニュースに接する今こそ、私たちは小説「油断!」や「復活の日」に描かれた、絶対の信頼ブランドを築き上げる固い決意を、改めて固めたいものです。
<運命に優遇される人>
松下幸之助さんの言葉です。
"自分の適性に生きて、喜びをもって今日の仕事に徹する──
それが勇気のある人だと私は思うのです。
一つのことでも、こんな仕事はという、とざされた考え方もあれば、
こんな仕事をすることができると考える、ひらかれた心もある。
前者は運命につぶされ、後者は運命に従って運命に優遇される人なのです。
あなたはどこまでも後者でなければなりません。"
(『若さに贈る』松下幸之助 )
松下幸之助さんは、「なぜ、あなたは成功したのですか?」と人に問われると、3つの理由をあげました。一つ目は、貧乏だったから。二つ目は病弱だったから。そして三つ目が学歴がなかったから。
貧乏で丁稚奉公だったからこそ、人としての在り方を学んだし、お金の大切さも学んだ。
病弱だったからこそ、すべて人に任せることができ、それによって多くの人が育ち、事業が成功した。そして学歴がなかったからこそ、人の話を聴く耳を持つことができた。
普通ハンディーキャップだと思いがちなこれらの与えられた運命を、幸之助さんは「本当に幸運な財産であった」と書き記しています。
また、幸之助さんは、人生で起こることの90パーセントは運命で決まっている。自分の意志で左右できるのは残り10パーセントだけだ、とも言っています。
実はこの二つの話は、同じ文脈でつながっています。
幸之助さんは、「貧乏」で「病弱」で「学歴がない」という、自分に与えられた90パーセントの運命を、心を開いて、肯定的に、素直に受け入れる生き方ができたために大成功を収めました。「運命に優遇される人」となったのです。
「運命に優遇される人」になるか、「運命につぶされる人」になるからの分かれ目は、「心をひらいて運命を受け入れる」勇気があるかないかの一点に尽きるようです。
そして、このように、「目の前の仕事」や「与えられた仕事」を「自分の運命」として受け入れたら、あとは、喜びをもって「徹してみる」、そういう「向き合い方」ができるかどうか?!それが「勝負所」なのでしょう。すべては、「運命を素直に受け入れる」という「最初の勇気」にかかっているのです。
<「One for All, All for One」の本当の意味>
今日も大好きな映像制作会社ブロックスの西川敬一社長から伺った話をご紹介します。
ラグビーの精神とも言われ、日本でも良く使われる「One for All, All for One」という言葉。この意味は一般的に「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのため」と訳されますが、本当は、「みんなはひとつの目的のために」という意味だと言われています。ラグビーの場合の目的はチームの勝利。つまり、「ひとりはみんなのために、みんなは勝利のために」というのが正しい訳だそうです。
みんながひとつの目的に向かって助け合い、協力する。ラグビーワールドカップで、日本代表が見せた「ひとつのトライのために、仲間同士が信じ合い、最後まで諦めず全員でつないでいく」というプレーは、まさにこの精神の表れだったと思います。体格も、体力も劣っている日本代表が、競合を次々に勝てたのは、他より優れたチームワークが発揮されたからでしょう。
チームの全員が「ひとつの目的」に向かっているからこそ、相乗効果が生まれ、強い敵にも勝つことができる。みんなが自分以外の人のことを考える「One for All」。そして、みんがひとつの目的に向かう「All for One」。この2つが機能しているチームほど強いものはないはずです。
ところで、「チーム」と「グループ」の違いは何でしょうか?
チームとは、複数の人が同一の目的に向かって動く集団。集団の目的・目標を達成するために、役割分担をし、協力し合い、時に意見をぶつかり合わせて動くのがチームです。一方で、「グループ」とは、同じ思考や性質、趣味などを持つ人たちの集団のこと。ここには同一の目的や目標はありません。チームは目的のために集まった集団で、お互いに協働して動きます。だから、1+1+1が3にも4にもなりますが、グループは相乗効果が生まれません。
つまりチームはそもそも「目的」を達成するために集まった集団だということです。そして全員が「One for All, All for One」の精神で結ばれたチームが「真のいいチーム」と言えるのではないでしょうか。
私たちの組織は「チーム」か、単なる「グループ」か?メンバーは、みんなが助けあっているか?みんなが「ONE」(経営理念)に向かっているのか?
最近は、テレワークばかりで、チームのことを考える機会が少なくなっています。「自分の仕事が終われば、仕事は終了」という働き方に慣れてしまっています。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?もっと目的に向かって協力すべきことはないでしょうか。チームの困っている人を助けることをしなくてもいいのでしょうか?
コロナ禍の大変な時期だからこそ、本当はもっとチームが助け合っていく時なのに、どんどんと「自分は自分のために」という状況になっているような気がします。もう一度、「One for All, All for One」を思い出していきたいですね。
2021/10/1
文責 米川 達也