21.社長から社員へのメッセージ(17)

21.社長から社員へのメッセージ(17)

今回も社長として社員に向けたメッセージの中から皆さんにも役に立ちそうなものをピックアップしてお送りします。

 

<「でんかのヤマグチ」の「高売り」に学ぶ>

 経営学者のマイケル・ポーターは、「競争に勝つ戦略は3つである(競争の3原則)」と言っています。
 一つ目が、「コスト・リーダーシップ戦略」。他社よりもコストを下げることにより価格競争にも耐えられるし、同じ価格なら他社よりも多くの利益を得ることができます。
 二つ目が、「差別化戦略」。これは自社独自の新たな付加価値によって他社より高くても買っていただける商品、サービスの提供です。高い利益率を実現する戦略です。
 三つ目は「集中戦略」。これは特定の狭い範囲にターゲットを絞り込み、自社の経営資源を集中させていく戦略です。

 東京・町田市にある「でんかのヤマグチ」は2番目の「差別化戦略」、ズバリ「高売り」で成功している会社です。
 創業57年。小さな電器屋を一人で始めた山口社長は、コツコツとお客様を開拓し、売るだけでなく、そのお客様が困っていることがあれば、すぐに飛んでいき対応する。そんな地域密着の経営で会社を伸ばしてきました。
 しかし、今から25年前、近隣に大型量販店が続々と進出。半径2キロに6つのも競合が迫ってくる事態に直面します。量販店同士が「他の店より1円でも安く」と競い合うと、地域の小さな店は太刀打ちができません。倒産、廃業が頭によぎります。
 悩んだ山口社長が出した結論は、生き残っていくためには量を売ることではなく、しっかりと利益が出る商いをすること。つまり、商品を量販の値段に合わせて安く売ることではなく、今よりも高い値段で売ることにしたのです。それが「高売り」。テレビなど量販店の2倍の価格になることもあります。お客様にしっかりとサービスをしていけば、きっと私たちを選んでくれるはず。一生懸命働く社員のためにも、生き残っていかなければ・・・周囲が猛反対する中で、その戦略を貫きました。
 まず、遠くのお客様を台帳から外しました。すぐに飛んでいける、近隣のお客様を選びました。そして、5年以上購入のないお客様を台帳から外し、値引きを要請するお客様は量販店を紹介するなど、値段は高くても、でんかのヤマグチのサービスを好んでくださるお客様に絞って商いを展開していったのです。電池が切れたと言われたらすぐに持っていく。テレビの操作がわからないと言われたら、わかるまで何度もご説明に伺う・・・それだけでなく、「旅行に行く間、少しペットの世話をしてくれないか」という頼みまで引き受けることにしました。信頼があるからこそ、そんな依頼も「でんかのヤマグチ」に頼まれるのです。
 こうした、手厚いアフターフォローの商いを続けた結果、量販店との価格差が3万~10万もあるのに、買いに来てくれるお客様が増え続け、以前は25%程度だった粗利率が今では45%に改善。借金もゼロになりました。高齢者のために出かけて行って録画予約までしてくれるヤマグチさんに惚れ込んでしまったお客さんにとっては、量販店との価格比較など意味がないことなのです。
 25年前、もし、量販店に対抗して「安売り」をしていたら、体力のない小型店はあっという間につぶれていたでしょう。しかし、山口社長は、従業員の幸せを考え決断をしました。売上を上げるために値引きをするというのは、簡単にできること。しかし、その安易な道を選ばずに、本当に大切にすべきことを大切にする。それが険しい道、難しい道であったとしても、やると覚悟を決めてやり続ける。
 すぐに結果を求めたり、すぐに楽な道を選ぼうとしてしまいがちな私たちに大切なことを教えてくれています。

 

<成果を上げる人と上げない人の違い>

 同じ努力をしているのに、成果が上がる人とそうでない人がいます。どうせ努力をするなら成果が上がるほうが良いに決まっています。一体どこに差があるのでしょうか。とても気になりませんか?
 今日は3人の偉人の答えをお示ししたいと思います。

 まず経営の神様、ドラッカーはこう言っています。
 「成果をあげることは一つの習慣である。実践的な能力の集積である。実践的な能力は習得することができる。それは単純である。あきれるほどに単純である。七歳の子供でも理解できる。しかし身につけるには努力を要する。掛け算の九九を習ったときのように練習による習得が必要となる。六、六、三十六が何も考えずにいえる条件反射として身につかなければならない。習慣になるまで何度も反復しなければならない。」(経営者の条件)
 ドラッカー先生は、イチローの素振りのように、成果をあげることがクセ(習慣)になるまで、ひたすら反復練習をする努力ができるかどうかだと断言しています。

 経営コンサルタントの藤堂昌恒さんは、
 「努力しても成果につながらないとき、それは『がんばり方が足りないのではなく、がんばり方が違うのだ』あるいは『がんばるポイントがズレているのだ』」と言います。
水の入ったコップを持っているときに、手を放しておきながら「落ちるな!」と必死に大声を張り上げてもコップは落下し、水はこぼれます。手を放した瞬間に自分の自由にならない引力という法則が働くからです。がんばるべきポイントはコップをしっかり支えて落とさないことであり、法則が働いた後いくら努力しても事態はコントロールできないのです。この例から藤堂さんは「うまくいかないのには明確な理由がある」といい、「いかなるタイミングでどのような努力をすればいいか」を習得することが大切だと言います。

 最後は松下幸之助さんです。ある講演で幸之助さんは、。
 「賢い人は会社を興(おこ)す。あるいは国を興す。しかしまた賢い人は会社を潰(つぶ)し、国をも潰す。その差は紙一重である。その差とは何か。それは、そこに『私心』があるかないかの違いである。」と言い、自身もいつもその葛藤の中にいると明かしています。
『自分のため』という気持ちが少しでもあれば、会社は潰れ、国は潰れる。『自分のため』という気持ちを一切排除した『無私』の心境になり、『世のため、人のため』だけになったとき初めて会社が成功し、国が繁栄する、と教えています。
 新たな78期を迎えるにあたって、皆さん一人ひとり、今一度考えてみませんか。

 

<人間力の磨き方>

 私の好きな言葉に、江戸後期の儒家、佐藤一斎の「言志四録」の中の、以下の言葉があります。
 『春風をもって人に接し、秋霜をもってみずから慎む』
 人には、春風のような温かさをもって接し、自分には秋霜のような厳しさをもって律することが人間力を磨く上で大切だ、と教えている言葉です。

 とくに『春風をもって人に接する』あるいは原文の『春風接人』というフレーズが大好きです。これこそ理想の関わり方です。その人と一緒にいるだけで、理由もなく、ホッとして、安心して、自分自身を開放してもいいかな、という気になってくる。そして少しだけかもしれないけれど元気になって、さわやかな気持ちになる。そういうふうに人と接することができる人間になりたいと思っていますし、会社の中でもそのような役割を果たせるようになりたいと思っています(まだ遠い目標ですが)。

 会社というのは人間力を磨く訓練にもってこいの場所だと思います。今、各職場で進めていただいている1on1ミーティングは、聞き手である「上司」に、この『春風のように人に接する』能力を磨いて頂く訓練の場です。別のことばでは「コーチング」といいます。話し手(部下)にとって、心地よい春風のように寄り添ってくれると感じられれば、安心して本音の話を聴くことができます。同時に聞き手(上司)の人間力を少しずつ高めることができます。こんなうまい話はありません。

 しかし『春風のように人と接する』能力は、自分に対しての鋭い秋霜のような厳しさを磨いて初めて身につけることができるものだ、と佐藤一斎先生は教えています。自分を律することで初めて人にやさしくできる。ここは間違えてはいけない大事なポイントです。
 人には優しいが自分にも優しいという人は案外多いものです。佐藤一斎先生にかかれば、「そんなことで人間力が磨かれるか!」と一喝されそうです。ましてや、自分には甘く、人には厳しいなどという勘違いはもっての外です。

 もう一度言いますが、会社というのはあなたの人間力を高める訓練の場です。あなたの人間力が成長してきたかどうか、それは話し手である部下が、あなたをどの程度「春風」のように感じ、どの程度安心して思っていることを話すかによってしか、測ることはできません。
 「春風接人」。おすすめです。

 

<作業と仕事>

 あなたが今やっているのは作業ですか、仕事ですか、それとも使命ですか?
 またしても松下幸之助さんのエピソードです。
まだ松下電器が小さな町工場だったころ、完成した電球を磨くという仕事がありました。そこに、つまらなそうに仕事をしている社員がいたそうです。その社員に対して松下幸之助さんは、「君、ええ仕事しているな~」と声をかけました。その社員は、「電球をふくだけの仕事のどこがいい仕事なんだ」と思っていたのでその言葉に唖然としたそうです。
 幸之助さんはこんな風に話しました。
 「この電球は、どこで光っているか知っているか?」「あんたが磨いた電球で街の街灯に明かりがつく。その街灯のお陰でどうしても夜遅くに駅から家に帰らなあかん女の人、いつも怖い思いをして帰っていた女の人が安心して家に帰ることができる」
 「またなぁ、子供が絵本を読んでいると、外が暗くなって家の中はもっと暗くなる。そうなれば、絵本を読むのを途中でやめなあかん」「でもな、あんたが磨いている電球1個だけで、子供たちは絵本を読み続けることができるんや」「すごいことじゃないか、あんたが電球を磨いていることで子供たちの夢を磨いているんやで」「子供たちの夢のために、日本中、世界中にこの電球を灯そうや」
 電球をふくだけの"作業"をさせられている、と思っていたこの社員が、幸之助さんの言葉を聞いた瞬間から、子供たちの夢を創る"仕事"をしているという誇りと喜びを得るようになったのです。
 
 ドラッカーの「マネジメント」には三人の石切り工の話が出てきます。何をしているのかを問われて、一人目の男は答えました。
「カネを稼いでいるんだよ」
二人目の男は答えました。
「私は、国一番の石切職人になるために、技術を磨いているのだ」
そして、三人目の男は答えました。
「私は、教会を建築しているのです」
ドラッカーには出てきませんが、実はそこに四人目の男がいた、という話があります。
四人目の男は答えました。
「みんなの心のよりどころを作っているんだ」。
 
 作業、仕事、そして使命。どんな仕事をしているのかと問われた時にどんな言葉を返せるか。仕事への向き合い方が問われている重大な質問です。さて、あなたの答えは?

 

<逃げない覚悟と変わる覚悟>

 今日から期が始まります。新たなスタートの日です。
 新年度を迎える「覚悟」はできていますか?
 「何の覚悟か」というと、「逃げない覚悟」「変わる覚悟」です。
 この1年の間に皆さん一人ひとりに必ず何らかの困難が訪れます。とてつもなく大きな困難かも知れませんし、小さな困難が五月雨のように降り注ぐかもしれません。突然訪れるかもしれませんし、ジワジワと近づいてきて時間とともに大きくなっていく、そんな困難かも知れません。どうしても狙った結果が出ない開発上の困難かも知れませんし、販売計画に対して結果がどんどん乖離していく、そんな困難かも知れません。ちょっとしたすれ違いから次第にこじれて長く尾を引く人間関係上の困難が待ち受けているかもしれませんし、思いもかけなかった病気に襲われるといった困難かもしれません。
 そのような多種多様な困難のうちのどれかが、きっとこの1年間の間に訪れます。
 そのときどうするか。
 「逃げない」ということだけを決めてください。どう解決するかはそのあとです。まず目の前に現れた困難から「逃げない」という「態勢」だけを固めて欲しいのです。逃げるか、逃げずに向き合うか。これは単に選択の問題です。どちらが難しいか易しいかという話ではありません。襲ってくる困難から一目散に逃げようとすると困難がどんな顔をしているか見極められず恐怖心がつのるばかりです。一方、逃げることなく困難の方に振り向いて向き合うと、恐ろしいとばかり思っていたその困難、意外とかわいい顔をしていたり、ヌケているところが見つかったりするものです。「よし、来たな」と声に出してみてもいいでしょう。
 7年前に社長に就任して間もなく、会社がほぼ破たん状態にあると知ったときの私がそうでした。どうしたらこの状態から抜け出せるかなど考えもつきませんでしたが、「この困難から逃げない」ということだけ、まず決めました。全てに先立って「逃げない」覚悟だけは決めたのです。悲壮な決意ではありませんでした。素直に「逃げない」と決めただけでした。でも今思うと、そのとき私にその「逃げない覚悟」がなかったら、社員の皆さんの努力も、幸運の市場の追い風も、活かすことなく水泡に帰していたかもしれないのです。
 そして次に「変わる覚悟」です。「自分自身が変わる勇気」と言っても良いでしょう。過去と他人は変えられません。変えられるのは自分と未来です。昨日までの自分を大きく変える勇気が、それまでの私のように何でも自分で抱え込むのではなく、多くの皆さんを巻き込んで、方策の考え方をぶつけ合うことを可能にしたのです。その結果、会社の運命までも変えることができたのだと思うのです。

 「逃げない覚悟」と「変わる覚悟」で今期を人生でも忘れられない1年にしましょう。

 

<「この世は競争だ」は正しいか>

 私たちはずっと「この世は競争だ。その競争に勝ち残らなくてはいけない」と教え込まれていたように思います。「競争に勝ち残っていかなくては、企業は存続できない」という前提のもと、「競争戦略」という言葉がもてはやされ、そのための指南書が巷にあふれています。
 この考え方は果たして正しいのでしょうか?

 同業他社に勝ることが企業の存続の条件だというのは、実は、錯覚です。「そんなバカな!目の前の現実じゃないか」という声が聞こえてきそうです。
 しかし、他社に勝つことは決して存続の保証にはなりません。他社が潰れたとしても自社もまた潰れるということはあり得るのです。逆に、他社に勝とうが負けようが、自分たちならではの価値をお客様に届け、それがお客様に受け入れられる関係が維持さえできれば、会社は立派に存続し、成長することができるのです。優劣や勝敗を気にする必要などないのです。

 むしろ競争優位が主目的化すると、企業は他社と同じようなものを安易に模倣するなど、負けないための行動にエネルギーを費やし、重複投資を行うため、本来行うべき「独創と挑戦」による進歩が停滞してしまいます。その結果、その分野が衰退し、ライバルも自分も潰れる、ということになるのです。さらに「競争に勝つためなら何をしてもよい」という短絡的な発想は、従事する人々に間違ったプレッシャーを与えることになり、過去、世の中を揺るがした数々の品質偽装や不正検査問題を繰り返す危険性をはらんでいるのです。

 競争はまた、外部環境と同じように、往々にして業績が振るわない理由にされます。「競争の激化により業績が低迷した」という、あの、お馴染みのフレーズです。しかし、これは環境や競争相手という、変えられないもののせいにしておけば、変えることができなくてもしかたがない、という言い訳に過ぎません。自分たちでは変えられない、相手が変わってくれるのを待つしかない。今年の四字熟語「転原自在」とは真逆の「転原他在」の姿勢にほかなりません。今年の1月に東大前で起こった刺傷事件の容疑者の少年が通う高校が出したコメントが、「コロナで学生が分断されたこと」があたかも犯行の理由のように書かれていますが、これなど「転原他在」の典型です。

 今年の私たちの合言葉は、「転原自在」です。競争相手に振り回されるのではなく、むしろ「脱・競争」くらいの気概で、他の会社ではできない、白山ならではの理念、知識、技術、能力、関係性によってお客様の役に立ち、感動していただける商品、サービスを提供しつづけるように自らを変えていくことを目指していきたいと思います。

 

<相手の関心事に関心を持つ>

 在宅で仕事をする時間が増えると、家人(妻)と過ごす時間が増えてきます。朝から晩まで外にいたときには知る由もなかった、妻の興味、心配事、関心事に触れる機会が増えてきました。ピーコックの魚コーナーのお兄さんが今日入った生きの良い魚を教えてくれることや来週からスシローでウニ・カニ祭が始まる話や、沢田研二のコンサートのスケジュールなど・・。何の関心もない私が生返事で「ふーん、そうなんだ」と返すと、「何の話か言ってごらん」と突然試されて、とんちんかんな答えをしては「ほら、聞いてない!」とこっぴどく叱られるのも、この2年間の日常です。

 夫婦の間では長いつきあいのおかげでこれで済みますが、会社の人間関係など社会の中ではそうはいきません。
職場での悩みの大半は人間関係の悩みです。その人間関係の悩みのほとんどは、「自分が理解してもらえない」「相手を理解できない」ことです。
私たちは自分に関心を持ってくれる人に関心を持つものです。そして、自分を認めてくれる人のために頑張ろうと思うものです。相手に関心を持つことはとても大事なことです。
 しかしここに落とし穴があります。
 人はそれぞれ価値観が違うものです。人生の目的は、同じ価値観の人を探し出して、そのような人だけに囲まれて楽しく生きることではありません。あるいは、違う価値観の人を論破して自分に従わせることでもありません。人間関係は勝ち負けではないのです。
 人はそれぞれ価値観が異なることを理解した上で、価値観の違う人同士が、その価値観のぶつかり合いを通して、より高い価値観を創り上げていくことが大切です。
 とはいえ、神でも仏でもない私たちが、相手に対峙してその相手の長所も短所も価値観も全て受け入れるということは容易ではありません。(恋愛中は別にして)
 そこでそういう私たちにもできることが、「相手の関心事に関心を持つこと」です。
 相手に関心を持つことと、相手の関心ごとに関心を持つは違います。相手に関心を持つと、相手を変えて自分の方を向かせたいと思いがちです。その点、相手の関心ごとに関心を持つことは、自分をその事柄の方に向けることになるのです。
 相手の関心ごとに関心を持つことで、相手の本心を引き出し、相手をより理解できるようになります。
 相手の関心ごとに関心を持つことは、すなわち「共感」を持つこと。
 「ウチの子は一体何を考えているのか分からない」という親子関係の悩みも、「なぜここ一番で頑張ろうとしないのか」という上司の悩みも、この「共感力」を育むことができれば、一気に解決できます。悩みから解放されてもっと楽に生きることができるようになります。

2022/9/26
文責 米川 達也