23.社長から社員へのメッセージ(19)
今回も社長として社員に向けたメッセージの中から皆さんにも役に立ちそうなものをピックアップしてお送りします。
<「見える化」から「見せる化」へ>
石坂産業と言えば、「産廃事業」という、とかく地域から忌み嫌われる事業を、「創造的な全天候型の屋内リサイクル事業」に作り変えたことで、世界からも愛され、尊敬される会社に大転換した企業です。
ところが、「地元から愛される企業を目指そう」として作った巨大な屋内型リサイクル工場が完成した当初は、喜んでくれるはずだった地元の人々は、「あの巨大な箱の中で一体何をやっているか分からない」として、当時のオウム真理教の拠点になぞらえて「石坂サティアン」と陰口をたたいたそうです。
その噂を聞きつけて、ショックを受けた新社長の石坂典子さんは、工場を全ての見学者が見られるように改造して、ツアーコースを作り、地元の小学校から大学生、社会人に至る誰もが、全ての処理工程を見えるようにしたのです。今では毎日バス2台の見学者が世界中から集まってきているとのことです。
我々がよく使う言葉である「見える化」を越えた「見せる化」を徹底しているのです。「見える化」は経営管理数値のように、主に企業内部での情報共有を指しますが、石坂産業の「見せる化」はお客様や地元の人々、そして世界中の環境問題に関心のある企業、個人など、会社の外部の人々に対しての情報発信です。
「見せる化」を始めた当初、社員は「俺たちは見世物じゃない」と猛反発したそうです。しかし見学者が増えてくると、その人達の声を通じて、社員も自分たちの仕事の価値に気づくようになり、見られているという自覚が社員の意識を変え、モチベーションを上げていったということです。
先週末、11名の全国から集まった経営者が石川工場を見学しました。経営者の皆さんからは、異口同音に、地震から復興して間もないはずの石川工場の社員の皆さんの真剣な働きぶり、眼差しに対するお褒めの言葉をいただきました。とくに、近くを通過する見学者に対しての自然な挨拶や礼儀正しさ、声をかけたときに笑顔で明るく応答する様子などに感心して、「帰ったら自社の社員に是非とも伝えたい」との声が聞かれました。中には軍隊調に立ち上がって礼をする会社を見たことがあるという人もいましたが、「それとは異なり、白山の社員の皆さんはごく自然に私たちに接してくれたので、感謝の気持ちが伝わってきました」と言ってくださった経営者もいました。
私たちの工場では石坂産業のように工場のプロセスの「見せる化」をするつもりはありません。しかし、今後増えるであろう海外の取引先のお客様に対して、白山の社員の「感謝の気持ちの見せる化」は進めていきたいと思っています。
<"鰻屋のお新香">
料亭の人間模様を描いた漫画「味いちもんめ」。私にいつも気付きを与えてくれる「人間心理の教科書」です。
主人公の伊橋も"煮方"と呼ばれる中堅どころになって、今月からの献立の"うな茶"の準備で大忙し。会心のデキの漬物の味を見てくれという追い回しの渡辺に「お前が食って美味しければそれでいいよ」と言うだけ。渡辺が鮎の塩焼きが清流を昇るような形になったのを見せに来た時も「ダメダメ、今それどころじゃないんだから」と取り合いません。
「なんや、近ごろ渡辺がおかしいんとちゃうか」と揚げ物担当のボンさんが言い出したのは、それから間もなくのことです。「暑い日が続くからバテたんじゃないの」と伊橋。「だいたい甘えてるよ。オレなんか明日の休みに追い回しみたいな修行に志願して行くっていうのにさ」
翌日、伊橋は気性の激しいことで有名な浅草の鰻職人"仁王の寅さん"に鰻の割き方を学ぶ一日修行に出かけます。 寅さんは噂に違わぬ厳しさで、初めての伊橋にも容赦なく、「そんな遅さじゃ気の短けぇ客は帰っちまうぞ」「バカ、鰻を怒らせると滋養のあるヌメリが出尽くして売り物にならねぇじゃねぇか!」と一日中伊橋を叱り続けます。さすがの伊橋もめげそうです。
それでもたくさんの鰻を割き終わった後、「仁王」の顔がニコッと笑って、「さすが熊野さんの弟子だ。飲み込みが早ぇや」という一言をもらったとき、伊橋は嬉しくて涙ぐみそうになるのです。そして気がつきます。「そうか。渡辺もそういう言葉が欲しかったんだ...」
翌朝、漬物を持ってきた渡辺に、伊橋は満面の笑顔で、「最高!漬かり具合も塩加減もバッチリだ!」と言うと、渡辺の顔が嬉しさで赤みを帯びてきます。「"鰻屋のお新香"って言葉があるけど、これならあの仁王の寅さんの店でも使ってくれるよ」「何スか、鰻屋のお新香って...?」と渡辺。
「美味い物の代名詞さ」と伊橋。「昔の鰻屋は注文を受けてから割き始めるので時間がかかる。客は待ってる間お新香で一杯やりながら時間をつぶす。そのためお新香は十分に美味しくなければならなかったんだ」
渡辺の顔はさらにポーッと赤くなります。
最後のシーンは、昼休み、店の裏でボンさんと伊橋の二人の会話。
「渡辺のやつ、元気を取り戻したようやな」と言うボンさんに、伊橋がしみじみ言います。「人間て勝手なもんだね。」「自分だって追い回しの頃、坂巻の兄さんや横川の兄さんにちょっとしたことを誉められると、ホントに嬉しかったのに...。そんな気持ちいつの間にか忘れちゃって...」
伊橋が学んだことは鰻割きの技術よりももっと大事なことだったのです。
(味いちもんめ31巻第6話「うな茶」より)
<「やめるわけにはいかない」>
2月23日に誕生日の記者会見をされた天皇皇后両陛下の横には、珠洲焼の壺が置かれていました。両陛下が自ら選ばれた珠洲焼の壺は、被災した田端さんが作った逸品です。思いがけず採用された田端さんがインタビューで感激を伝えていました。
「珠洲焼」は、平安時代末から室町時代後期にかけて能登半島の先一帯(現珠洲市および旧内浦町)で生産された、中世日本を代表する焼き物のひとつです。室町時代後期に忽然と姿を消し「幻の古陶」と言われた陶器は、40年ほど前から研究者と地元の人々の手によって、500年の時を経て再興されました。鉄分を多く含む珠洲の土を使って成形し、高温で焼き締め、素地まで炭化させる独自の技法が生み出す灰黒色の艶は、華道、茶道、食などの様々な分野で注目されています。
たまたま私の元部下の娘さんが、この夏、金沢と珠洲を訪れ、金沢の町家と珠洲焼に魅了され、金沢の町家を拠点に、彼女が主宰する芸術家グループと珠洲焼の若手作家の間のコラボレーションをお手伝いすることになった経緯から、私も珠洲焼を知ることになりました。12月末に東京で初の展示会を終えた、その1週間後に、能登半島地震に見舞われ、珠洲地域に散在していた窯の大半が壊滅的な被害を受けました。
珠洲焼の製法は独特で、1200度の高温で焼き上げた後、窯を酸欠状態にした長時間の炭化燃焼で、表面だけでなく土の内部まで灰色から黒に変えていきます。
一昨年、昨年と2年連続の地震で窯が全壊し、半年かけて窯を再建し、いよいよ火入れ直前だった今年の元旦に今回の地震に見舞われ、みたび窯が全壊した珠洲焼作家の篠原敬さんは、インタビューに応えて「おととしや去年の地震の時には、廃業も頭をよぎりましたが、今回は『これで終わってなるものか』と思っています。薪でつくる手法の火を絶やしてはならず、私がやめる訳にはいかないです」と決意を示していました。
500年のブランクを超えて40年前に復活を果たした珠洲焼。その珠洲焼の火を今回の地震で途絶えさせるわけにはいかない、という強い思いが伝わってきます。
私が間接的にお手伝いした東京の若手芸術家と珠洲焼の若手作家のコラボレーション活動もまた再開されるとのことです。
<「ソーシャルビジネス」が平和をもたらす可能性>
世界の戦争が絶えません。テレビの画面に映し出される廃墟と化した建物群。泣き叫ぶ人々。交互に報復を宣言しあう国や軍事組織のトップの映像。これらが絶えることがない毎日です。ロシアーウクライナ戦争に端を発した不安定な世界情勢が、今は、イスラエルと対立するガザ地区「ハマス」、レバノン「ヒズボラ」などという、しばらく前まで知らなかった名前の組織の間の殺し合いに発展しています。そして対イスラエルの国々の後ろ盾である核保有国のイランがイスラエルを攻撃するという恐ろしい事態になっています。同じく核を保有すると言われているイスラエルとイランが本格的に戦争になれば、「地球危機時計」の針は大きく進むことになります。
中東の殺戮合戦のニュースの陰で、殺し合いではない、全く別の革命が起こっているのがバングラデシュです。強権的な政権に対する抗議デモによって政権が崩壊、新たに暫定政権を率いることになったのが、ノーベル平和賞受賞者の「あの」ムハメド・ユヌス氏です。
バングラデシュの経済学者で実業家でもあるムハマド・ユヌス氏は、貧困層を対象にした低利・無担保融資を行うグラミン銀行を創設し、生活に窮する多くの人々の自立を支援しました。グラミン銀行の仕組みは、「マイクロクレジット」として世界中に広まり、ユヌス氏は、2006年にノーベル平和賞を受賞。その名は世界中に広まることとなりました。
その平和主義的なユヌス氏が、一国の大混乱をどうおさめるのか、私は注目しています。
暫定政権は発足したものの、混乱は続き、治安を守るべき国中の警察官が身の安全を守るために一斉に姿を消しました。そこでユヌシ氏が採用したのが、倒閣の中心となった学生ボランティアの活用です。信じがたいことですが、今、バングラデシュの街で治安を守り、交通整理をしているのは全て学生ボランティアなのです。国の中枢の郵便・電気通信・情報技術省と青少年・スポーツ省などの意思決定をする顧問にも学生コーディネータが採用されているのです。
ユヌス氏の持論は、「ビジネスにはお金を儲けるためのものと、社会の役に立つためのものの2種類がある」と言うものです。後者を「ソーシャルビジネス」と名づけ、それはお金のためにする仕事よりもはるかにやりがいがあり、後々蓄積され残るものだと言い続けてきました。
「そんな理想論は絵空事だ」という批判の中、しかし、ユヌス氏の壮大な社会実験が始まろうとしています。血生臭い、殺し合いをしないと自国の平和はもたらされないと信じるリーダーと、殺し合いをせずに「ソーシャルビジネス」で自国の平和がもたらされると信じるリーダーの戦いに、もっと世界は注目すべきだと思っています。
<2024年を振り返る>
今週で2024年の勤務日は終わります。今日はこの1年を振り返ってみたいと思います。
何と言っても2024年最大の出来事は能登半島地震でした。
1月1日午後4時10分過ぎ、東京の自宅でテレビを見ていた私は緊急速報のテロップに驚き、テレビのチャネルを変えまくりましたが、正しい情報を伝える映像はないまま、NHKの女性アナウンサーが「津波が迫っています。テレビなど見ていないで今すぐ逃げてください。」と叱りつけるように絶叫する声が繰り返されていました。既にその時には、被災地にいる人々は、驚天動地、見たこともない非日常の状況の中に巻き込まれている最中であったことでしょう。私はとにかく社員やその家族に犠牲者が出ないことだけを祈る思いでした。1月4日に初めて工場入りして、天井が落ち、キャビネットが倒れ、割れたガラスが散乱した現場を見たときに、つくづく勤務者のいない休日であって良かったと思いました。しかし、ご家族で自宅で被災して亡くなったり怪我をした多くの人々のことを考えるとそれを口に出すことはできません。1月2日にはAさん、Bさんが自宅の被災や片付けに優先して工場の様子を見に来て状況を把握し、情報共有とともに工事会社の稼働確保などに着手してくださいました。この第一手の早さがその後の命運を分けました。
工場の修復と生産の再開のスピードは驚異的でした。1月15日には被害の少なかった事務棟に作業机や必要な物資を移動して、外観検査、包装など一部の工程を再開させました。成形室の修復が完了した2月13日には成形作業の24時間体制が再開、3月の食堂などの事務棟2階の工程を最後に、全ての修復を完了することができました。「なりわい補助金」についても3月27日に採択され、交付「第1号」となりました。石川県によると、その後の「なりわい補助金」申請書類の「見本」として、今でも当社のものが使われているそうです。
それに引き続き起こった「奇跡」が、今年の2番目に大きな出来事です。地震を機に、世界中のエンド顧客に「白山」の名が知られるようになりました。GM室の積極的な活動と相まって、それまで主として商社を介して当社のMTフェルールを購入してきた海外のエンド顧客との直接取引が急増してきたのです。販売単価がアップするだけでなく、各顧客との直接対話を通して、長期のフォーキャスト情報も入るようになってきました。その結果、月々の売上、利益が大幅に増加してきたのです。
白山はこれまでも、困難に遭遇するたびに、全員で乗り越えて、それまでと違う大きな変化を起こしてきました。その変化によって白山はワンランク違う会社に成長してきました。2024年はまさにその白山の真骨頂を発揮した年だったと思うのです。
来たる2025年は、それをテコに一段と飛躍する年にしていこうではありませんか。
<「限界」を作らない1年を>
今年の四字熟語は、「限界突破」です。
あの松下幸之助さんも「人間の進歩発展には限界はない」と言い残しています。「限界」を設定しているのは他ならぬ自分自身です。できることを簡単に諦めてしまい、勝手に「限界」をつくっているのは自分以外の何ものでもありません。
昨年、私たちは元日から能登半島地震という未曽有の災害に直面しました。それでも皆さんは自ら浮き上がる「絶対浮力」を発揮し、普通はあり得ないような集中力と粘り強さで、あの最大の危機を乗り越えることができました。私たちの姿勢と努力に打たれた工事関係の方々、パートナー企業の方々、県知事をはじめ国や自治体の方々、そして海外のエンド顧客を含めた多くのお客様が我々に寄り添い、支援してくださいました。その結果、実質1ヶ月半で操業を本格的に再開し、3月末には完全復旧を果たしました。その後、被災を心配してくださった世界中のお客様企業とのダイレクトなコミュニケーションが直接取引へと発展し、売上や利益を過去に経験したことがないレベルにまで引き上げてくださいました。
私たちはこのビジネスモデルの転換と売上・利益の急上昇を、単に「地震が呼び込んだ一時期の奇跡」として終わらせるわけにはいきません。せっかく取り込んだ「奇跡」を「サステナブル(持続可能)な成長」につなげることによって「レジリエント(強靭)」な企業体質にまで高めることが必要です。そして「真のグローバルニッチトップ企業を目指す」頂点に届かせることが求められています。シャレた単語を並べましたが、平たく言えば「儲け続ける」ということです。「儲ける」こと以上に「続ける」ことははるかに大変なのです。
昨年末の紅白歌合戦にも出場した、ロックバンドの「THE ALFEE」はレコードデビューから50年間一度も休業したり、メンバーの変更もなく、今でも第一線で人気を誇っています。私と同学年で今年全員が70歳(古希)になります。入れ替わりの激しい芸能界で他にこのような例はありません。
昨日BS-TBSで「なぜアルフィーは50年も続いたか」をテーマに、彼らのかつてのライブ映像を振り返る番組をやっていました。
THE ALFEEを良く知る人々が様々な理由を語ったあとに、最後に彼ら自身が導いた答えは、「結局このメンバー(桜井賢、坂下幸之助、高見沢俊彦)だったから」に行きつきました。
私たちも「このメンバーだったから」こその信頼と団結力で、「限界突破」の1年を進んでいきたいと思います。
令和7年が皆さんやご家族にとって忘れられない素晴らしい年になることを心からお祈りいたします。
<ドラッカーの一言から>
今日は経営の神様、ドラッカーの言葉をいくつかご紹介しましょう。必ず私たちの事業運営に役に立つと思います。
『本業の仕事は3種類。①今日の事業の成果を上げる。②潜在的な機会を発見する。③明日のために新しい事業を開拓する。しかもこの3つは同時に行われなくてはならない』
これは、事業がもっとも成果を上げなければならないのは現在である一方、どんなに繁栄した事業や製品もいつか必ず陳腐化するということを言っています。したがって、『明日のこと』を考えるのはまさに『今やるべきこと』なのです。
『既存のものは資源を誤って配分されている。業績の90%が業績上位の10%からもたらされているのに対し、コストの90%が業績を生まない90%から発生する』
私たちの知る身近な例では、利益を生まない膨大な種類のレガシー部品のために、時間の大半(場合によっては時間外まで)を使わざるをえない人が何人もいます。これに対する根本的な解決策はただ一つ。これらの製品からの撤退しかありません。私たちが取り組もうとしている方向が正しいとドラッカーが認めてくれているのです。
『業績の鍵は集中である。業績をあげるには、大きな利益を生む少数の製品や製品ライン、サービス、顧客、市場、流通、用途に集中しなければならない。』
これこそ白山がこの10年で取り組んできたことです。当時5%の売上しかなかったMTフェルールビジネスに集中することは、全くこれまでの事業の歴史に通じていなかった私だからできたのかもしれません。発想のポイントは、決してその時点の売上規模ではなく、利益(率)と市場の成長性の2点のみでした。
『未来を築くためにまず初めになすべきことは、明日何をすべきかを決めることではなく、明日をつくるために今日何をすべきかを決めることである。』
未来に関するリスクと不確実性をなくすことはできません。ドラッカーはむしろ適切なリスクを作り出し、不確実性を利用すべき、と教えます。
『未来において何かを起こすには、とくに創造性は必要ない。必要なのは勇気である』
『今日とはまったく違う何が起こることを望むか、を問わなくてはならない。』
『これこそ事業の未来として起こるべきことだ。それを起こすために働こう』
現状に留まりがちな私たちの背中を、ドラッカーの言葉は、これでもか、という勢いで押し続けます。リスクと不確実性に対して、勇気と信念で挑むべきだと押し続けます。
<はずみ車を回し続ける>
アマゾンを創業したジェフ・ベゾスは、レストランの紙ナプキンに自身の構想するビジネスの仕組みを描いたことで有名です。低コスト構造のビジネスをつくり、顧客に低価格で提供する。それによって今までにない経験をした顧客が、繰り返しアマゾンで買うようになる。そうすると全体の取引額(トラフィック)が増える。取引額が増えれば売り手はそのマーケットプレイスに参入し、品揃えが豊富になり、顧客はさらに新たな体験をして満足度が増える。取引額がさらに増えて、マーケットプレイスは成長し続けるー。
このように一度好循環を生み出せば、慣性力によってますます好循環を呼ぶことを「はずみ車」効果と呼びます。 「ビジョナリーカンパニー」の著者ジム・コリンズが名づけました。「はずみ車」は最初にある回転速度に達するまでは大変な努力が必要です。押しても押しても動かない運動会の大玉転がしのようなものです。しかしいったん回転し始めると、今までとは比べものにならない小さな労力で、ほとんど自力で高速で回転し続けます。
「はずみ車を回し始める」経験が私にもあります。アメリカ西海岸に勤務していた1990年代前半に、発起人として初めてのシリコンバレー石川県人会を創ったり、帰国後シリコンバレーかぶれだった私と幾人かの友人で、シリコンバレーと同じようなベンチャー支援のためのNPOを立ち上げたりしたものです。これらの経験を通して、ジム・コリンズの言うように、「はずみ車」を回し始めるには大変な労力が必要だという言うことを痛感しました。と同時に、これほど面白いことはないということも体感しました。それは4人から始めた石川県人会が、1年の後に200人を超える会員を抱える在アメリカでも有数の県人会に成長したり、わずか数人で始めたNPOが「スマートバレー・ジャパン」として、毎週衛星放送チャネルにベンチャー支援の1時間番組を出せるくらいに成長したりした経験があったからです。
仕事でいえば、光事業は、まさにこの「はずみ車」を回す歴史でした。わずか12,3年前、専門的に関わっていた社員4~5名、成形機3台、売上1億円にも達しない小さなプロジェクト(事業と呼んでもらえなかった)は、力いっぱい押しても押してもほんのわずかしか動かない「はずみ車」でした。改善を重ね、ほんのわずかずつ動いている手ごたえは、やっている当事者にはあったはずです。しかしそれを周りの人間が気づくにはもっと時間が必要でした。そして周囲がその変化を認めたとき、そこに参加するメンバーが増えていきました。そして「はずみ車」は成果の伸びと同時に勢いを増していったのです。
目の前にある「はずみ車」を回し続けてください。いつか面白いように回り始めます。
2025/3/6
文責 米川 達也