コアグループの経営戦略より(2008.3.5)
「組織情報と変容の諸相」研究部会で株式会社コア取締役 常務執行役員 野秋盛和より「バス理論で軌道に乗せたべンチャー企業の成長プロセス」というタイトルの研究会が開かれました。「べンチャー企業の成長」、というタイトルに引かれて参加しました。
コアグループは、1969年起業のIT関連の成長企業です。現在は一部上場企業であり、ベンチャー企業のイメージはありません。研究会でのお話は1969年の起業から現在までを振り返りベンチャー企業からどのようにして今の規模の企業になったかのご説明でした。
皆さん「バス理論」てご存知ですか?かく言う私もそれまで「バス理論」と言う言葉は聞いたことが無く、どんな理論だろうかと興味をもってお話を聞きしま した。ところが何のことは無い、企業の成長とともに組織が大きくなる時、そのような組織を率いていく人材がベンチャー企業では不在なことが多く、かといっ てベンチャー企業が優秀な人材を集めることは難しい。その解決策として、組織の肥大化を避ける分社経営を行い、それにバス理論という名前をつけたらしい。 その狙いは、大組織を管理することは無理でも、「バス一台に乗れるくらいの人員(100人くらいまで)の面倒を見れる人なら社内にもいるだろう」ということらしい。
そして、バスを動かすための最小限の要因は、運転手と車掌。この二人がしっかりしておれば何とかなるだろうとのこと。なんとも理解しやすく、説明の易しい理論です。後はこれをふえんして、想像力を働かせて実践して行けばよいわけです。まことに実務家向きの分かりやすい説明でした。
学問的考察に興味のあるお方は、崎詰 素之氏の学位論文 「起業からIPOまでのコア・コンピタンス ――エンベデッドソフトウェア事業の構築と戦略―― 高知工科大学大学院工学研究科基盤工学専攻 (起業家コース)」に同社のバス理論が延べられていますので、そちらを参考にしてください。
野秋氏は、経営組織の変遷を、創業期、開発期、発展期、継承期、成熟期と5期に分類し、それを繰り返しながら成長する。その中で現在のコアグループはちょうど第4期の継承期に当るとしていました。
株式会社システムコア創業の1969年はまだ大型コンピュータ全盛の時代で、ほとんどのソフトウエアメーカはメインフレームメーカの開発依頼に基づいて、ソフトを開発していました。
メインフレームメーカ毎にプログラムの実行方法が異なるためにプログラムの互換性はありませんでした。したがって、開発に必要なノウハウもメーカーごと に異なり、チーム編成はメインフレームメーカ毎にならざるを得ませんでした。そのため当時は、システムコアのバスもメインフレームメーカ毎に仕立てられま した。
ところが1972年に、IBMによるソフトウエアの有償化が始まるとともに、顧客は自社使用のソフトをハードウエアメーカー以外(ソフトウエアメー カー)からも調達するようになりました。この時、依然としてメーカーの下請けの方針を取った企業もありましたが、独立系ソフト開発会社路線を歩んでいた同 社は、早速顧客企業に直接交渉を開始しました。こうして顧客との交渉窓口(インターフェース)が重要となったために、開発期に入った同社のバスは顧客対応 力を強化するために、地域コア会社に仕立てなおされたそうです。
その後、インベッデットソフトウエアの需要が増えていくとともに、ハードウエアメーカーとともにソリューションを顧客に提案するビジネスが増えてくるこ とになりました。このエリアでは業務ノウハウや、問題解決能力が起業競争力の源になっていました。このとき、同社に新たにソリューション中心のバスが追加 されたとのことです。
こうして、10年ごとの組織の再編を行えたのも、経営者のリーダーシップはもとより、同社のバス理論が有効に機能し、組織の柔軟さを保てたためとの説明をされていました。
創立後20年を過ぎた発展期は増収増益を背景に、独身寮の建設等福利厚生にも投資を振り向ける余裕がでてきました。更にこの時期には海外拠点を設置し、積極的進出しました。ただこれら海外拠点は、ITバブルの崩壊とともに閉鎖されたものもあったそうです。
創業から30年を過ぎた1989年から、会社の上場準備が始まりバスは分社経営からカンパニー制へとその形態を変えましたが、その精神は変わらす、小 グループでの経営が行われてきたそうです。2003年の東証2部への上場とともに、経営と執行の分離が行われ、新しい会社の形も見え次の世代への継承が意 識され始めました。現在もその作業は続けられ、成熟期へ向けての準備が着々と整いつつあるるそうです。その他にも、経営改革、経営革新の具体的内容につい て説明がありました。
説明の後、メンバーからの野秋氏への質疑応答が行われましたが、話が個別的になりすぎるのでここでは省かせていただきます。
この後は、私なりが理解したバス理論(野秋氏のものと異なるかも知れない)を元に話を続けたいと思います。
私はバス理論の原則・効果を以下のように理解しました。
2の原則はミンツバーグの言う5つのコンフギュレーション中のプロフェッショナル的官僚制 に近い形のように感じました(H.ミンツバーグ経営論 著者ヘンリーミンツバーグ ダイヤモンド社発行 p263)。
運転手はある考えかた(経営思想)を持った人間で、この人が目的地(目標)までの地図(戦略)を頭に描きながらバスを運転する(決定権限を行使する・ トップマネジメントの役割)ことになります。バスを安全に目的に到着するための道路状況(経営環境等の状況認識)を見ながら、必要なハンドルやブレーキの 操作(日常業務での意思決定)を行うことになります。同時に彼は乗客(オペレーションの主役である組織の基礎的作業を行う人)たちが余裕を持って仕事がで きるように(効率的よく仕事を行う)臨機応変に道を選ぶことも含まれます。車掌は車内(社内)の時間が楽しく(仕事がうまく行くように)すごせるように雰 囲気を盛り上げたり(福利厚生)乗客の不満が発生しないように支援する(規則を決めたり中間スタッフとして機能する)ことになります。
チーム規模を100人以内にすることは、プレジデント(社長)が10以内のマネージャーの面倒を見、それぞれのマネージャーが10人以内のスタッフの面倒を見るようにすれば実現できます。したがって組織の階層はプレジデント(社長?)、マネージャー(部長?)、スタッフ(社員)の3レベルで構成 できることになります(最も営業職のように、顧客との交渉を行うために必要な対外的役職として、本部長・部長・課長のタイトルが必要であればそのようなタ イトルを設けるのも方便かも知れませんが、社内的にはマネージャーで統一しておくのがよさそうです)。組織が3階層であれば、スタッフ社員や顧客から受 注・製造・納入について特別の条件を示されたマネージャーや、与えられたノルマを達成するために無理をし、健康被害や家庭不和が発生したスタッフが上司の 上司(社長)に相談すれば、最終意思決定者の意見が聞けることになます。これを社長のほうから見れば、顧客との関係や市場の動きを素早く察知でき、小回りの利く意思決定ができるようにになるわけです。更に、チーム員が100人以下であれば、社長が社員全員の名前や性格を覚ることもでき 、一人ひとりのスキル・労働環境・家庭環境を考えた運営を行うことができそうです。スタッフのほうから見ても、社員が少ない分だけ、責任範囲が広くなり、 自分がやらなければ問題が解決できないとの自覚が生まれやすくなります。組織で一番の専門家であることを自覚した技術者スタッフは、大組織に属するより活 性化し、能力いっぱいで働くようになることが期待できます。
こうして、企業成長の最初の段階でも持てる人材を最大限に活かしながら運営を続け、企業規模がある限界を超えたあたりから、大規模組織の運営に長けた人 材にバトンタッチするための活動(継承期)を通じて会社の変革を行い、成熟期の備えていく必要があるというのが、野秋氏の言わんとした継承期の意義ではな いかと感じられました。
一方、ベンチャー企業を始めたばかりの時(創業期の最初のステップ)は、スタッフが100人なんて事はまれでしょう。時には一人で始めるときも多いと思います。このような段階では、乗り物はバスというより自家用車 にたとえたほうが良いかも知れません。社長(代表)は運転手の役のみならず車掌の役も乗客の役もやらなくてはいけないわけです。こうして立ちあがったあ と、会社が儲かれば乗客を増やし自家用車からバスに切り替える時期が来るかと思います。そのときに備えて、いつまでもワンマーカーで走るのではなく、車掌の役をこなす人を抜擢 することになるとの前提で人の採用を考える必要があることを暗示しているように思えました。
2008/03/05
文責 瀬領浩一