人と地域のWEBマガジン ISHIKAWA DRAWER

Mari Kitagawasenior consultant

北川真理株式会社計画情報研究所 主任研究員

住みたい、測りたい、伝えたい。思いがあるから道は開ける。

Person

#06

2017.05.31

はじまりは台所から。

小さい頃から建物や町並みを見るのが大好きでした。一番心躍るのは、夜に明かりがともっていて、台所からご飯支度をしているにおいが漂ってくる光景。窓際にボウルが並んでいるとか。台所が道路に面している家が大好きで、見るたびに「すてきだなぁ。わたしもこんな家に住みたいなぁ」って思っていました。
高校3年生の時に進路に悩んでいたのですが、友達が磯崎新の写真集を持ってきて「すごいだろ」って見せてくれて、思わず「すごい!私もこんなんなる!」って。若いってすごいですよね(笑)。進学先は京都の大学を選びました。県内で建築について学べる国公立大学はなかったし、外に出たかったという思いもあって。学生時代を送るなら京都かなと。

※磯崎新(1933~):世界で最も著名な日本人建築家の一人。石川県内では、加賀市の中谷宇吉郎雪の科学館の設計を手がけています。

名前が導くoverseas。

高校では落ちこぼれで勉強する意味が分からなかったけど、大学は知りたいことややってみたいことがいっぱいあってすごく楽しかったですね。子どもの時に親から名前の由来を「世界中の人に呼んでもらえるように」と聞いていたこともあり、「私はいつか世界に出ていくんだ」とか「何か海外に関わるんだろうな」と思っていました。大学の先生に「いつか留学したいです」と相談すると、「海外で活躍している女性を間近に感じてほしい」と、東京で行われるシンポジウムを紹介してくださいました。そのシンポジウムは先生がコーディネーターを務めていて、オランダで活躍していた建築家の吉良森子さんがメインとなり、オランダの都市計画や都市のマネジメントについて語るというもの。もう、すっごい面白くて、海外に行きたい!という思いがさらに強くなりました。シンポジウムには日本の建築家の中でも錚々たる面々がパネラーとして参加されていましたし、京都ではそのような機会は滅多になく、金沢だと尚更…というのもあって、先生に「東京ってすごいですね」と話すと、「それなら、東京に行ってみたら?」って。都市や地域を生業にする人にとって、金沢と京都しか知らないのは偏りがありすぎると言われて。確かにそうなんですよね。東京に行って自分の価値観がどう変わるのかも見てみたかったし、先生の恩師を紹介してくださることにもなって。その研究室は毎年誰かが留学しているような環境なので、留学に向けて動きやすいからともアドバイスされ、気持ちが固まりました。

※吉良森子さん:建築家、神戸芸術工科大学客員教授。アムステルダムを拠点に建築設計や歴史的建造物修復、リノベーションを手掛ける。

インタビューを受ける北川さん。好きなものについて語るときのキラキラした表情が印象的でした。

うずうずの渦。

大学院では都市史を学びました。教えている大学が少ないマイナーな分野で、たとえば、この通りの景観がとてもすてきなのは、ある時代にできたカーブの道が残っているから…というような学問。京都で学んでいた都市計画は数字を積み重ねて解き明かしていくものだったので、はじめのうちは「こんなの学問じゃない!!意味が分からない」っていう話をいろんな人にしていました。向こうにしてみれば、数字ばかり言われても全然ピンと来ないみたいな感じだっただろうし、よく話に付き合ってくれたと思うんですけど。東京も、最初は本当に息が詰まって苦しくって。ノリも関西とは違うし、話にオチがなくて、上京したての頃は関西の友達に電話して「何が面白いか分からへん、私絶対無理や~」ってこぼしていました。
でも、東京の街は本当にいろんな歴史が重なっていて、実は自然も豊か。その自然の中に都市が調和していることを友達が教えてくれるんですね。建物もいろんな時代のいろんな様式のものがあって、昔の参道が商店街になってたりするんですよね。そういう話を聞いていると本当に面白くて、「研究したいー !!」ってうずうずしてくる。いい空間を見るとスケッチして寸法を測りたくなるんです(笑)。うずうず~って。最近はだいぶ治まってきたんですけど。

すてきをカタチにするために。

留学の話は大学院に入った当初から先生に伝えていました。先ほどのシンポジウムや、京都の先生にも勧められた経緯もあり「オランダに行きたいです」と伝えると「オランダじゃなくてイタリアがいいんじゃない?」と言われまして。「えぇっ、イタリア???」みたいな。でも、速攻イタリア語講座に申し込みましたが。院の先生はイタリアをメインに研究している、その分野では著名な研究者。夏にイタリアに調査に行くから来なさいと誘われ、初めてアマルフィというところに行きました。アマルフィはとても興味深い場所でした。これまで数字やデータでしか都市を捉えられなかったけれど、この感覚、この面白さ、この地で人々がいかにすてきに生きているかということをきちんと表現したい!という思いがふつふつと沸いてきたのを覚えています。これって、台所にボウルが並んでいて、いいにおいが漂っていることをすてきと思うのと同じ感覚。このすてきな感じを何とかして伝えたいし、なぜそれがすてきかを自分で把握する力がほしい。そうなると、場所や建物の歴史や特徴をつかむということをきちんと学ぶことが必要で。イタリアはそういう分野ではとても進んでいたので、うってつけでした。先生からはトレントとパルマの先生を紹介できるけどどっちがいい?と聞かれ、生ハムやチーズが有名だからいいなーと思ってパルマを選びました(笑)。奨学金もあったので、もう止まらない感じでしたね。

※アマルフィ:世界遺産にも登録されているイタリア南部のリゾート地。急峻な断崖絶壁につくられた街の景観に目を奪われます。イタリアをブーツでたとえると足首のあたり。

北川さんのデスクの上。「自分のエッセンスを置いておく」そうです。個人的には宮本常一にそそられました。

その言葉でしか表せないことがある。

イタリアに行ったのは修士2年の秋。学生として入らせてもらおうと思ったのですが、どういうわけか先生クラスの扱いを受けることに…。イタリアの建築学科は難しく、卒業できるのが大体27、8歳くらいの世界。そんなところに建築学科を22、23歳で卒業し、その上奨学金を取ったという人が来たもんだから、担当の先生たちに「コイツは化け物だ」と買いかぶられてしまって。東京の先生には「そこは黙っておけ」と言われ、その言葉に従ったために授業をさせられ、作品の講評会でも先生側になったりとか。

私が担当した授業はイタリア語で進めたので、その準備だけで何ヶ月かが経ってしまいました。授業の原稿は、イタリア人の友達に手伝ってもらいながら作っていました。東京の都市について話をしようとして資料をまとめていたんですけど、概念が違うと言葉って違うんですよね。無理にイタリア語をあてると、文法が合っていても腑に落ちなくなる。こっちが当たり前だと思って言った言葉でも、向こうにしてみれば背景が違うから通じないんですよね。何故違うかを解きほぐして、根本から説明し直すというのがすごく勉強になりましたね。
イタリアでは、都市の社交空間がどんな風に時代とともに変化してきたかを研究していました。人が集ったり、おしゃべりしたりする場所って、時代によって教会の広場だったり、カフェだったり、映画館やクラブだったりもするんですけど。それらの空間と歴史を照らし合わせながら、論文に落としこんでいきました。

※クラブ:語尾を上げる方です。

せっかくのお宝、活用したいものです。

大学院を修了後にどこで就職するか。イタリア、京都、金沢の3カ所で悩んでいました。イタリアは大好きな国だけど、物事がスムーズに進まない面があって、その状況の中で仕事をする自信がありませんでした。また、親からは「これだけ好きなように外に行かせたんだから、金沢に帰って来なさい」とも言われていて、それもそうだなぁと納得したのと、当時母の体調が優れず、心配だったことも重なり金沢に帰ることを決めました。

金沢に帰ってきてから好きになったお店が、せせらぎ通りの「ウエスト・コースト」。金沢は用水がある割には、その環境を生かしたお店が少ないと思います。もっと水辺にオープンなお店があってもいい。ウエスト・コーストには、用水に面した窓際に丸いテーブルがあるんです。日本にしては珍しく、夏でも夜だったらクーラーをつけずに窓を開けるんですよ。そのテーブル席に座ってせせらぎに耳を澄ませていると、すごくいいスピーカーからレコードの音楽が流れてきて。どこか不思議な雰囲気で、コーヒーもお酒が入っていたり生クリームを盛ったものがあって、フレンチトーストとか、食べ物メニューもきちんと作っている。今は滅多に行けないんですけど、以前は7時から飲み会で、6時に仕事が終わるようなことがあれば、さくっと行って本を読むこともありました。窓が開いていて、そこから用水の流れる音が聞こえるってとっても贅沢。コーヒーもおいしいし。おすすめというか、好きです。日本では法律的に道路を使うことが難しいんですよね。それでも、水に対して正面を向けたり、座席を設けるとか、いろいろ工夫はできるのではないかと。用水って金沢の財産ですよね。用水が兼六園から流れてくるなんて話を聞いたら、きっと「おぉっ」ってなると思います。

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