Zhang QichaoManeger of Global Sales Department
張旗超グローバル営業部 マネージャー
#08
2017.12.22
中国の黒竜江省出身です。お米や豆の生産量が多いところで、黒竜江省だけで日本と同じくらいの大きさがあります。中国全体を鳥のような形だとすると、だいたい首のあたり。とにかく寒いところです。夏は30度以上になる日もありますが、冬はマイナス40度※くらいまで下がることも。子どものころは一晩で雪が1.5mくらい積もったこともありました。
中学卒業までは地元にいて、高校は山東省にある学校に行きました。山東省はどこにあるんでしょう…。分からないです(笑)。どのへんやろ。当時は黒竜江省から電車で36時間かかるような場所でした。母親が教師をしていて、割と勉強に厳しいというか。山東省は学業に関して厳しい地域とされていて、それで行ったのかな。自分も中学を卒業した後は1人暮らしをしてみたいし、親からのプレッシャーもあったので、そこから離れたい思いもありました。高校生で1人暮らしをする人はほとんどいなかったですね。そのおかげでいろいろ成長できて、留学生活でも役立ちました。そういえば15歳からほとんど実家に帰ってないですね。x15年間ずっと外回り(笑)。
中国にいた時の日本のイメージは、家電商品が有名で、車に関して強い。アニメも結構人気で、中国語の字幕付きのを見ていました。中学生からバスケをやっていたんで、スラムダンクとか。ドラゴンボールも見ていました。
※マイナス40度…バナナで釘を打てる気温です。
のうか不動産・もりの里店にて。窓が大きく開放的で、ウェルカムな雰囲気のお店です。合格を祈願する「のうか神社」もありました。
高校卒業後は大連※にある大連交通大学で、ソフトウェアと英語を専攻しました。就活もしたんですけど、大連には日本の企業が多いので、日本語ができる人が優先されます。ソフトウェアの分野は日本の会社が強いので、良い会社を目指すために日本語を勉強しようと思ったのが留学のきっかけです。自分でもちょっとだけ日本語を勉強してみたんですけど全然喋れなくて。それで、日本に行ってみようと思いました。
当時は若いので、「やりたい」「行きたい」という思いが強かった。お父さんは「親は応援しかできない。やりたいことは、自分で責任を持って最後までやってくれ。成功したら自分の成果だし、失敗しても自分のせい」という考えの人でした。とはいえ、自分の子が海外に行ったら心配だろうし、生活費を出すとも言ってくれたんですけど、断ったんです。中国は一人っ子政策※を取っているので、高校生や大学生はあまりアルバイトをしないんですね。日本と比べて物価も安いし。日本だったら日本語も勉強できるし、アルバイトをすれば給料ももらえるんで。行ってからはもちろん苦労もあったんですけど、自分で選んだ道なので、成功できるまではあきらめたくないというか。
※大連…遼寧省にある都市で、人口は593万人(JETRO大連事務所の2016年版資料より)。日露戦争後に日本の統治下となりました。日系企業も多数進出していて、大連市の金州区は七尾市と姉妹都市提携を結んでいます。
※一人っ子政策…1979年に施行された人口増加を緩和するための政策で、夫婦一組につき子供は1人に制限されていました。現在は廃止されています。
留学先に金沢を選んだのは、留学する際にお世話になった大連外国語大と北大※は姉妹校の関係にあってビザを取りやすいと言われたのと、もともとの性格なんですけど、人が多いところが苦手で。ゆっくりしたいタイプなんで。東京や大阪とかって、北京や上海、ニューヨークと同じように高いビルのイメージしかなく、どこも一緒だなと思えて。日本らしいところに行きたいなぁと思っていました。京都も日本らしいイメージがありましたが、姉妹校がなかった。正直言うと、はじめは金沢という地名も知らなかったです。知っていた日本の地名は、東京、大阪、京都、神戸、北海道くらいでした。
実際に日本に来てみると、想像していた日本とはちょっと違うと思いました。着物を普通に着てるかなとか、お寺さんみたいな建物が多いのかなーと思いながら富山空港に降りたんですけど、「あれ?ないな」って(笑)。
食事も驚きました。中国では生ものは食べないんです。一回火を通してからじゃないと食べない。でも、日本ではお寿司が有名じゃないですか。最初は違和感があったんですけど、今は大好き。毎日でも食べたい(笑)。
※北大…読み方は「ほくだい」で、北陸大学を指します。北海道大学も北大と略すので、金沢に来た北海道出身者がよく戸惑っています。
のうか不動産が発行している「金沢ひとり暮らしガイド」。物件紹介のみならず、お部屋探しのコツや体験談といったお役立ち情報が満載。
北大には1年間日本語や日本文化を学ぶ、外国人を対象とした別科があります。作文やリスニングの授業があって、あとは先生と日本語で会話をしたりとか。日本文化の授業で兼六園に連れて行ってもらった時には、中国にいたときに想像していた日本と近いなって思いました。別科を出た後は県外の大学を受験したり、そのまま北大に残るということもできます。北大には大連の大学の単位を利用して編入できる制度があったので、3年次に編入してマネジメントを学びました。
アルバイトはいろいろしましたよ。当時は円高だったし、持ってきたお金がなくなってしまうので。最初は日本語ができなかったので、中華料理屋さん。キッチンとカウンターの仕事を担当していました。そのお店は中国人スタッフもいたので、言葉がそれほどできなくても大丈夫でした。その次は、日本語を使わなくてもできるアルバイトがないかと考えて、新聞配達をしました。北國新聞の。朝の3時から1時間半ほど働いて、ちょっと寝てから大学に行くという生活です。生活費の問題は解決できるようにはなりましたが、日本語を勉強するために来ましたし、ずっとそのままだと意味がないから、日本語を上手になれるバイト先を探して。接客系が多かったです。お客さんといろいろ話をできますし。会話の中で使われた言葉を繰り返し喋って覚えて。アルバイトを辛いとは思いませんでした。楽しい。最初は友達がいなかったし、1人でいるのもさびしいし。日本人とも話せて、給料ももらえる。アルバイトは最高ですね。ハハハハハ。飲食店で働いていた時にはご飯も食べさせてくれました。大学とアルバイトの生活だったのでお金を使う機会もあまりなく、家賃も安かったので、気がついたら「貯金が増えてる!」って感じでした。今はまったく貯金できないですけど(笑)。
相手が言うことを理解し、片言ですけど自分が言いたいことを表現できるようになるまでは1年半かかりました。卒業前には日本語能力試験のN1※に合格することができました。留学にはいろいろな目的があると思います。自分には卒業後、日本に残って就職するという目標があったから頑張れました。
※N1…日本語能力試験(JLPT)は、国際交流基金と日本国際教育支援協会が運営。日本語を母語としない人を対象に日本語の能力を測定する試験で、国内外で実施されています。N1は最上位のレベルで、認定基準は「幅広い場面で使われる日本語を理解することができる」です。