人と地域のWEBマガジン ISHIKAWA DRAWER

Kazuki ShimoyamaDirector

下山和希セコリ荘金沢 ディレクター

つなぎ、つむぐセコリ荘。ものづくりはいとをかし。

Person

#04

2016.08.08

セコリ荘金沢の始まり。

進学を機に地元を離れ、東京の服飾大学で縫製とデザインを学びました。卒業後は都内のアパレルメーカーの企画職に就きました。都内を中心にショップ展開をしている、20〜30代のレディースアパレルの企画、製造、販売を行うメーカーです。

 

僕が会社で働き始めてから、大学時代のクラスメートだった宮浦が東京の月島に「セコリ荘」を立ち上げました。彼は大学卒業後に渡英し、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションという大学でメディア・コミュニケーションを専攻しました。そこではメディアやプロモーション、ブランディングなどについて学び、在学中に雑誌をつくったり、展示会を企画したりしていたそうです。帰国後、宮浦は日本各地の繊維産地に通い始め、繊維工場の技術や素材をデザイナーに紹介するようになってきたのですが、生地などを紹介し伝える場所が必要になってきました。それで、「ゆったりとコミュニケーションが取れる」という条件で物件を探している時に今の大家さんに出会い、東京の月島に築90年の2階建ての民家を借りることができて、「セコリ荘」をつくることになりました。

 

僕は会社に勤めながら、「セコリ荘」の立ち上げに携わってきました。金沢に拠点を置く話は3年ほど前に聞きました。宮浦が取材で北陸地域を出入りしている時に、金沢文化服装学院の学院長と交流がありまして。「セコリ荘金沢」の物件は、もともと金沢文化服装学院の学生さんの作品を展示販売するギャラリースペースでした。繊維産地に「セコリ荘」の拠点を増やしていきたいという僕らの想いと、北陸が合繊繊維素材をつくる企業や工場が集まる日本有数の繊維産地だということがつながったこと。また、僕らの想いと学校側の今後のこのスペースの運営方針が重なったこと。そして僕自身が現場を回って、生産者の声を聞いて、一からものづくりを学び直したいという想いがあったこと。この3つの思いが重なった形で、2015年の10月に、金沢にセコリ荘ができました。

 

※宮浦:セコリ荘代表の宮浦晋哉さん。
※金沢文化服装学院:セコリ荘金沢は金沢文化服装学院の隣にあります。

セコリ荘金沢ではさまざまな素材に出会える。

いい感じな金沢。

金沢に移ったのは2014年の9月です。それまでは一度視察で訪れただけでした。夏場でしたが風が気持ちよくて、すごくきれいな街だと思いました。東京の都会に疲れてきたこともあったのか、自然と共存する街並みがきれいだと感じました。僕は宮城県出身で、仙台の街並みに似ているとも感じました。でも、仙台よりものづくりの文化が根付いている感覚がすごく大きかったです。食べ物もおいしいですね。水がおいしいので、米やお酒もおいしいですよね。おでんも良かったなぁ…。お店でいうと、「PLAT HOME」が大好きです。店長のポン太さんには地元の方をたくさん紹介して頂きました。

 

食文化もそうですが、石川は日本古来の伝統が継承されていますね。その一方で、金沢21世紀美術館のような現代的な要素も共存している。個人的には鈴木大拙館も好きですね。日常のせわしなさから解放される感じがして。時が止まったような。

 

※ポン太さん:プラットホームのオーナーで、本名は岡川透さんです。

不安に勝る使命感。

金沢に来た当時は、人脈もほとんどなかったので、不安はありましたが、新しいことを始めるとか、挑戦したいという使命感がありました。そこで、まずは現場を回るところから始めました。金沢文化服装学院の学院長が地元の繊維業界の方々を紹介して下さり、糸の卸売業を行う「福富」の福富さんが、加賀友禅の工房や細巾織物、撚糸、染色の工場などを案内してくれました。そのことがきっかけでたくさんの北陸の工場さんと繋がることができました。

 

今は県外に移住されてしまいましたが、金沢出身の北永さんという女性が「セコリ荘金沢」の立ち上げから協力してくださり、とても心強かったです。地元の魅力的な場所や、たくさんの人を紹介してくださいました。そして、セルフリノベーションをした内外装は文化の学生さんや地元の方と一緒に夜遅くまで作業を行いました。こうしたたくさんの方の協力があって、「セコリ荘金沢」はスタートを切ることができました。

 

※金沢にある糸卸業、株式会社福富の福富欽也さん。

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