金沢大学先端科学・社会共創推進機構

VBL

42.たった一人の発案者

-I&OHI2010年度合宿からの報告-

2010年7月24日~25日にかけて、専修大学富士山中湖セミナーハウス(川島記念館)(住所 山梨県南都留郡山中湖村平野字切詰)にて、I&OHIの合宿が行われました。I&OHIは経営情報学会の「組織・人・情報とイノベーション研究部会」の通称です。 会場の川島正次郎記念館は川島邸から専修大学移設された日本庭園を備えた魅力的なセミナーハウスです。全室湖山中瑚畔に面しており富士山を一望出来る素敵な会場です。当日は富士山は見えませんでしたが、山中瑚に映える夕日はばっちり見れました。

専修大学山中湖セミナーハウス(川島記念館)

山中湖の夕日

 第5章はたった一人の発案者

合宿で使われたテキストは「バークン著『イノベーションの神話』オライリージャパン発行」です。アマゾンでの書評では以下のように紹介されている書籍です。
【ビジネス、科学、テクノロジーの分野において、どのようにイノベーションは生まれ、普及していくのか、その真実を解き明かすのが本書『イノベーションの神話』です。ニュートンの引力の発見から、GoogleやFlickrなど最新のものまで、豊富な事例とイノベーターたちへの聞き取り調査を元に、広く信じられている「神話」を解体し、その影に隠れた本当の姿を明らかにします。読者は「イノベーションに必要なアイデアはどのように生まれるのか」、「なぜ『解決策よりも『問題』が重視されるのか」、「イノベーションが普及するために必要な条件は何か」といった点について新しい見方を手に入れることができるでしょう。「創造性」に関する考え方を変える一冊です。『アート・オブ・プロジェクトマネジメント』著者の最新刊。】

研究部会での議論のすすめかたは次の通りでした。出席メンバーが前もって決められた章を読んできて、その内容を簡単にまとめて解説します。その後各章ごとにメンバーが自由にコメントを述べ合うという方法です。ちなみにテキストの各章のテーマは次の通りです。

第1章 ときめきの神話
第2章 神話: 私たちはイノベーションの歴史を理解している
第3章 神話: イノベーションを生み出す方法が存在する
第4章 神話: 人は新しいアイデアを好む
第5章 神話: たった一人の発案者
第6章 神話: 優れたアイデアは見つけづらい
第7章 神話: 上司はイノベーションについてあなたより詳しい
第8章 神話: 最も優れたアイデアが生き残る
第9章 神話: 解決策こそが重要である
第10章 神話: イノベーションは常に良いものをもたらす

いずれの章のタイトルもイノベーションの世界では当たり前のように語られている話です。たとえば最後の章の「 イノベーションは常に良いものをもたらす」はイノベーションに関わる人たちが、信じて疑っていない前提ではありませんか。このように、多くの人が当り前と考えていることを「神話」と切り捨て、その間違いを過去の事例をあげて説明している本です。なんとも面白い解釈で、痛快なタッチです。

私が発表を担当した、「第5章神話:たった一人の発案者」は、概略次の図のような構成です。アインシュタイン、エジソン、ガリレオ、ニュートン、フォード、ライト兄弟、ルイ・アームストロング、レオナルド・ダビンチ等となじみの発明者や事業の代表者イノベーションの源を作った発案者といわれているが、実はそれは間違いですという調子です。ちょっとまとめてみますす。

たった一人の発案者目次


取り上げられた発明のいくつかは

いろいろな発明

第5章は冒頭から「電球を発明した人は誰でしょうか?いいえトーマス・エジソンではありません。」で始まります。
実はエジソンはないのだそうです。それなら自動車の発明は?フォードでもないそうです。さかのぼればレオナルド・ダビンチも発明者の候補になるのだそうです。本当か?とインターネットで検索してみると、youtubeにレオナルド・ダビンチの描いた図を参考に、自動車を復元してみましたとの動画 が見つかりました(http://www.youtube.com/watch?v=a2qeZrejZp0)。ご興味のある方は上記ホームページにアクセスしてみると面白いです。youtubeで見せてくれる動画は、ダビンチが残した図面をベースに作ってみた模型が本当に動くところを見せてくれます。実際の画像はねじで動く模型(ほとんどおもちゃ)ですが確かに、自動車のようにゼンマイを動力として、他からエネルギーを供給されることなく、メカニカルに動く機能は持っています。そうは言ってもたかがゼンマイを動力源としているわけですから、現代の自動車のように遠くまで行くことはできません。 まだ内燃機関が発明される前ですから無理もありません。現代の自動車を比べられモノについて考えると、発明者はカール・ベンツではと文献は言っているようです。同じように飛行機の発明者はライト兄弟ではないし、 パソコンの発明者もスティーブ・ジョブスではないとのことです。

ところで、日本の特許法では、発明は「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」と定義されています(特許法2条1項)。 国によってその定義は違うようです。産業財産権標準テキストによる米国では「人間が作った新規かつ有用な製品・プロセス」、欧州では「技術的なもの」となっているようです。先日テレビを見ていたところ、韓国ではほとんど日本と同じような定義になっているとのこと。この辺りも、知財やアイデアの発案者について、たくさんの説が出てくることを予感させます。

更にイノベーションといった立ち場で考えると、イノベーターを特定する時には、特許以外にも考えなくてはいけないことがでてくるそうです。
1.アイデアを考えた人?
2.アイデアが実現可能な事を実証したプロトタイプを作った人?
3.実用に耐える程度の能力を持っている(たとえば明るさ)プロトタイプを作った人?
4.購入者が、買える程度の価格で提供できるようにした人?
5.利用者が使える程度の大きさや重さを実現した人?
このようにイノベータについて、いろいろな人が考えられるだけではなく、イノベーションごとに何をイノベーションと呼ぶかといったルールさえは変わっていると言っています。これでは「正義は勝つ」ではなくて「勝ったものが正義だ」。とか「変化に対応出来たものが生き残った」に対して「生き残った者が進化したものだ」と同じ論調になりかねません。いわばご都合主義です。もう少しましな考え方はないものかと言いたくなりますね・・・・・・・・・・・

たった一人の発案者にしておく便利さ

ビジネス化への道

 それはそれとして「たっ た一人の発案者」というお話はつづきます。
この本で事例としてであげられている内容はそれぞれに、実利的で説得性のある説明です。そして、そのような話は英雄を待ち望む人々に答える、ジャーナリステックな方法かもしれません。多くの人々が、イノベーションを志す気持ちを鼓舞する政策としても有効な考え方のようにも見えます。

 ベンチャービジネスを考える時に、よく言われる基礎研究から技術開発に移るタイミングで関門である「死の谷」や技術開発から製品化へ移る際の関門である「ダーウインの海」の話にも繋がるような気がします。このような不確実さを乗り越えた人々の苦労話や、履歴書、伝記を語り伝えた書籍は数多く見つけることができます。思えば私も子供のころ、エジソン・キュリー夫人伝等いろいろな偉人伝を夢中になって読んだのを思い出します。多くの人が、今よりいい生活を望んで、夢中になっていた時代です。平等であるより、変化を求めていた時代の特性かもしれません。

 そういえば、最初の特許法は14世紀のイタリア・ベネチア共和国の「発明者条例」と言われていますが。大川氏から頂いた「イギリスの産業革命の誕生を導いた特許制度や特許とその歴史的背景」という文献には 16世紀から17世紀にかけてのエリザベス1世時代の英国産業の発展期において、特許戦略を使っていたことを書かれています。それを読むにつけ、当時の特許には、特許を受けた人の利益のみならず、それを与えた側もそれなりの利益を期待しているのではと見えてしまいました。ちょっとうがりすぎかもしれませんが、いわば江戸時代の御用商人の「鑑札」のようなものと感じた、次第です。

イギリスの特許

 それはともかく、同図の右下にあるグラフは、1760年代から1993年にわたるおよそ130年間のイギリスの人口増加率と実質GSP増加率だそうです。(産業財産権標準テキストからの孫引き)日本の現在の経済状況を見るにつけ、これほどの長期間の成長路線を維持したイギリスの国力(統治能力)と、産業革命の威力を見せ付けられる思いです。今はやりのイノベーションにも、同様な期待を寄せるとともに、政治の力も重要であると認識させられる思いです。 国民の平等を目指した「共産主義」が破綻し、改めて覇権の時代に入った国際政治・経済の現状を見るにつけ、あまりにも結果平等を追及する日本の経済運営は、もはや成り立たないのかもしれません。むしろ今の日本は必要以上に「結果の平等」にとらわれることなく「機会の平等を」求めて、果敢に変化していく(イノベーションを進めていく)必要性を示しているような気がしてなりませ ん。大学の知的財産もその一つの役割を担えれば幸いです。

発明が同時に行われた場合の問題

 とはいえ、発明は時によっては、同時期に行われたり、同地域に行われることもあるのは事実のようです。。

百匹目の猿

 個人的体験では言えば、デパートで数ある中から、自分の好みで選んだにもかかわらず、同じような洋服や靴を履いている人に会うことがある。これを同じような体型の人は同じような服を買うというのだそうです。同様な話は、ガリレオが偉大な科学者になったのは、イタリアが哲学の中心であった時代に、彼がその地で生まれたためと言うのがこの本の主張です。

 他にも左の図にあるように、同じような状況に置かれると、同じような時代に同じことをするという「百匹の猿現象」が起きるとの本もあります。もっともこの説には異論が多いようですが、面白い話ではあります。

 現代のように、学会やインターネットで技術情報が飛び交う時代となれば、「百匹の猿」の前提条件であった離れていて何の連絡もない状況でさえ同じことが起こるなど意味をもちません。そこそこのレベルであれば、多くの人が同じ情報を得ていると考えざるを得ないのが現状です。私は知らなかったなど、言い訳にもなりません。簡単にいえば、みんなが同じ情報を与えられている中での、発明競争です。最近のES細胞の研究にその例が見うけられると思います。テーマを絞ってみておれば、同時に似たような発明が出てくるのは当たり前です。早い者勝ちとするしかありません。そんななかで、先発明主義だ、先出願主義のどちらが正しいのかなど意味を持ちません。各国の特許庁(やジャー ナリストたち)は、自分達の都合に応じて誰かを最初の発明者として話を進めていってしまいます。今回の部会でも、この本はあまりにもアメリカやヨーロッパに偏った論調だといわれる人もいました。東洋の常識や実績などほとんど考慮されていないと、実例をあげて反論された方もいました。確かにその通りですが、実務家として最初の発明者としての権利の欲しい人は、どちらの状況に も対応できるように、仕事をやっていく以外の方法はありません。このあたりが「特許を利権」として取り扱わざるを得ない、ビジネスの問題なのかもしれません。

どう対応すればいいか

イノベーション劇場

 もうひとつの疑問、ピラミッドや万里の長城の発案者が分からないのに、西洋の発案者が多くあげられているのはなぜだろうか。アーノルド・パーシーはその著書「The Maze of Ingenuity」で「昔、創造は神の特権であると考えられてきた。今では人類が共有することが出来る営みであるととらえられている」と書いているようです。西洋文明では1500年代のルネッサンス以降は個人の偉業と考える風潮が出てきたということです。 それ以前の発明者は西洋でもわからないが、ルネサンス以降の発明については、個人名や複数の人の名前が記録されるようになったそうです。ただ 特別の創造を成せる人は限られた天才だけだと考えられいたそうです。誠に統治者にとっては都合のいい考え方です。

さらに、こうして決められたたった一人の発案者についても、たった一人で出来たわけではありません。彼と協力してイノベーションの偉業を成し遂げた人の 数は限りがありません。月に初めて降り立ったアームストロング氏の場合も、エジプトのピラミッドや万里の長城を築いた時にも彼らを支援した、多くの技術者や労働者がいたはずです。更にはそれ以前に、このような技術者や労働者が使った道具や機械の発案者もいたはずです。こうして、イノベーションに関わる人はどんどん増えていきます。

 左の図は、私が考えたイノベーションを志すにあたり、「今」何をするべきかを考える時に使えないかと作った曼荼羅図です。左上の「外の様子」が発する情報を注意深く観察し、右下の「組織内での立ち位置」を忘れることなく、左下の過去の結果である「現在」を見つめ、右上の「未来への向けての希望」を実現 すべく「今の行動目的」を設定すべきである(時空を見据えた行動目標の設定・問題の認識)。 この時「今の行動方法」は、右の「自分の強みと弱みを」見据えて、左の自分を取り巻く「他人との人脈を大切にし」、中ほど上の「理屈に合った行動」であるとともに、中ほど下の自分の心が納得できるよう「感情」が許せるように設定しようというものです(行動方法・問題の解決策)。 イノベーションを「きちんと記述しようとすると」少なくとも私でさえこの曼荼羅図を事実に基づいて完成させ、記述せざるを得ません。専門家が時空を超えたをた真理や誰にも通用する普遍性や、誰をも納得させる説得性を追及していくともっと複雑に なってしまいます。これでは記述する人も大変だろうし、読んでも何が何だか分からなくなってしまいます。こうして、このテキストの第5章は、結局「たった一人の発案者という神話は、歴史を覚えやすくしたいという単純な理由で、事実を捻じ曲げたものである」と言っているようです。やっぱり、神話の役割はあるようです。

・・・・・・事実でなくてもいいではないか、納得してもらえれば・・・・・・

2012/12/07
文責 瀬領浩一