金沢大学先端科学・社会共創推進機構

VBL

82.リーン・スタートアップ

トヨタ生産方式をアントレプレナーに適用すると

はじめに

 金沢駅で東京に帰る時間待ちで駅前の本屋さんに行ったところ、エリック・リースの著書「リーン・スタートアップ」を見つけついつい衝動買いしてしましました。 ハーバードビジネスレビューに2013年8月号の「スタートアップ:大企業での活かし方」という記事で「リーン・スタートアツブの手法では、開発より先に顧客閤拓、 膨大な資金より迅速な行動、軌道修正の繰り返しなどが奨励される。」と紹介されていたことと、「価値設計図で事業計画を再調整」で検討した価値設計図を使ったMVEに も関係ありそうなことと、帰りの移動時間の良い読み物になると思ったからです。今回はこの「リーン・スタートアップ」の役立つように「企業のアイデア創り」で検討 したビジネスマンダラ(ビジネスモデルの表現方法)の使い方を検討してみました。

スタートアップのための完全な計画は作れない

 「リーン・スタートアップ」によれば、エリック・リースは従来からいろいろな戦略立案の手法や、トップの資質、探索方法の書物が有ってもなかなか自分の アイデアを実現できないことに対する解決策としてイノベーションを継続的に生み出せるアプローチとしてリーン・スタートアップ(Lean Startup)と言う方式を生み だしたとのことです。リーンと言う考え方は、トヨタ生産方式の欧米版です。この本では、リーン生産方式やデザイン思考、顧客開発、アジャイル開発という従来から 活用されてきたマネジメントや製品開発の手法を取り込んだ筆者が自身の会社やコンサルタントとしての活動した例を使ってリーン方式の有効性を詳細に説明して います。注2)

従来の予測手法の限界 

 

これまでのベンチャーは綿密な事業計画を作成し、ペンチャー・キャピタリストの納得を得て十分な資金を得たうえで、事業計画通りに進めるのが王道と言われて きました。しかしながら世の中が不確実になってくると、十分な計画を作ろうにも、その前提となる過去のデータから将来を予測することが難しくなってきました。 その上十分時間をかけて作成した戦略や計画が完成し、それを前提に資金の提供を受けてしまうと、その計画を達成すべく全力を尽くすことになります。そもそも、起業 しようと考えている時には前提となる製品やサービスが市場と整合性が取れているか、その製品やサービスを予定通り提供で来るのか、参加される要員やパートナー として必要スキルを持った要員を集められるか、ましてや既存顧客からのリピートオーダーも期待できないのに必要な資金を確保できるかといった不確実性が あるわけです。当初の計画通り事が進むのは奇跡としかいえません。したがってスタートアップ企業ではも、従来のマネジメント手法はあまり役にたたないので、 マネジメントはつまらないと思いこみマネジメントの原則も決めないで次々と何かをやってみる(無節制な)ことになりがちだとも指摘しています。

ステップバイステップで進める

 それなら当初から完全な計画づくりはできないのだとあきらめて起業計画を作成するのが、リーン・スタートアップです。そこでは、十分準備して一挙に実施する のではなく、秘かに重要と思われるビジネス要素の組み合わせを作り、顧客や競合他社に知られることなく顧客セグメントの一部に実施し、その結果を見ながら必要部分 は修正し、足りない部分は補強しながらビジネスモデルをレベルアップしていきます。その結果ある程度実績が見込めるようになった時(成功が見込める実績が出た時) に、これまで行われてきたような本格的なビジネス展開に持ち込む方法を提案しています。

 このやり方はある程度思考実験をしたのち実機試験を行って確かめる研究者や、これまでと違った材料を使ったり設計構造を変えて試作品を作成しテストを行って いる現場技術者の仕事のやりかとほとんど同じです。理系の人にとっては、普段やっていることと同じように見えるはずです。

リーン・スタートアップ 

 

「リーン・スタートアップ」はトヨタ生産方式の現場管理の思想を取り入れているとのことでしたので、私なりに改善のフィードバックループを一枚にまとめたのが 左図です(「リーン・スタートアップ」p105にある図とは異なっています)。その中心に置かれているは「構築→計測→学ぶ→構築」のループです。その周りを ビジョン、仕組み・仕掛・戦略・戦術が取り巻いているという構造となりました。通常のフィードバックループと違い、学ぶの部分が2つに分かれています。これが リーン・スタートアップの特徴です。学ぶの一つは図の上にある最適化を行う部分で、こちらはPDCAのループと同じく、現状の仕事のやり方を更に改善し、スピード アップ、顧客価値を上げる、組織の柔軟性を上げるといった改善活動(戦術の変更)となります。一方下のループの赤い枠組みのなかの学ぶが方向転換でリーン・ スタートアップの特徴的な考え方です。予定した製品やサービスの改善を続けるのではなく、それまでのやり方を放棄し、新しいやりかたで方向転換の道を進むという 方法を公式に認めていることです。この方向転換時に検討する新しいやりかたとして、図にあるように①ズームアウト(視野を広げる)、②ズームイン(目標を絞る)、 ③顧客セグメントを変える、④顧客ニーズを狙う、⑤プラットフォームを変え新しい環境を設定する、⑥新しい価値を加える、⑦成長の仕組みを変える、 ⑧チャネルを変えるといった方法を提案しています。敗戦を転進と読んだ昔を思い出させるいやな感じを受ける方もいらっしゃるかもしれませんが、意図的に顧客 セグメントや製品もしくはサービスを絞ってパイロットビジネスの範囲で行われているビジネス(試作品製作と同じく戦略を試すビジネス)であるとすれば、それほど 突飛な考え方でもありません(技術者の間では実証済みの方法論)。このあたりは、Wideレンズの MVF(Most viable Footprint)にも通ずる考え方です。このような 試みができるためにはそれなりの仕組み(資源の余裕や自由度)ならびに仕掛(モベーションや個人の評価方法)も必要です。その上こうした、戦略転換や戦術変更が 柔軟にできるためには、評価方法に加え、図の左上にあるビジネスのビジョンを明確にしておき、その上で戦略、製品の位置づけをする必要があります。

計測・検証の仕組み

 たいせつなことはこのように最適化路線と方向転換路線に分けるためには、正確な計測を行い適切な評価を行うための基準を明確にしておかなくてはなりません。 この仕組みがリーン・スタートアップで革新会計(Innovation Accounting)と呼んでいる主要指標の管理です。

主要指標の管理 

 

会計というと、まずは倒産しないための資金管理と損益計算書や貸借対照表さらには税金を計算するための税務会計が頭に浮かびます。そのために必要な帳表も様々あり、 各々決められたルールに基づいて処理がなされます。
更には、大企業では部門ごとの収支状況が分かるように、管理会計が導入されており、毎月1回くらいはその状況についてレビューが行われているのが普通です。 しかしながらこのような、過去を振り返る歴史のある企業と違い、スタートアップ企業は過去の情報があまりありませんし、むしろ期待されているのは将来の収益です。
スタートアップ企業でビジネスの可能性を検証するためには、検証すべきビジネスを製品機能、顧客セグメント、マーケティング等のいくつかの要素に分け、まずは その最もクリティカルな問題(要素)を検証できるビジネスを開始すべきです(中間目標:learning milestoneの設定)。成果が出ていることを見せたいばかりに、成功の 可能性の高いビジネス要素の組み合わせから始めてはいけません。なぜならそこでOKという結果が出ても次のステップで、否定されれば最初の検証のための活動は無駄 となるわけです。まずは一番難しい問題を検証し、その結果に応じて次に難しい問題を検証するようにすれば、検証コストは最小になるはずです(重点指向)。

 この時コホート分析手法を使い、担当者の言い逃れができないようにします。コホート分析では総売り上げや総顧客数といった全社にまつわるようなデータではなく、 特定の製品・特定の活動・特定の特性の顧客の売上を分析します。革新会計の計測に当たっては検証を行う活動をその他のものから区別して効果を比較できるとように して言い逃れを許さない方法を確立する必要があります。

 こうしてビジネスの状況を把握し、人・もの・金・納期といった数字を検証し、ビジネスが可能かどうかを調べます。だめであれば方向転換もしくは中止とする わけです。他にも営業ファネルを使い、特定の活動を行ったものについてだけの売上効果を測るといったようにし、できるだけ早く結果を見極め無駄な開発努力を しなくていいようにすることも有効であると述べています。

 一般にスタートアップはハイリスク・ハイリターンと言われていまです。スタートアップの費用や時間をを最小限にするためにも、できるだけ早くリスクを検知し 方向転換を行う仕組みづくりが必要であるというのは十分理解できることでます。

リーンビジネスモデリング

 前節では計測(検証)の仕組みの重要性を説明いたしました。リーン・スタートアップで戦略レベルで検証すべき仮説はビジネスモデルです。いろいろなビジネス モデルが提案されていますが、ここでは以前「起業のアイデア創り」取り上げた授業「アントレプレナー入門」で得られたビジネスモデルマンダラを例に使って説明 させていただきます。

介護ロボット製造販売のビジネスモデル
介護ロボットの製造販売のビジネスモデル
アントレプレナー入門の学生レポートより作成

 

 この授業では、ビジネスマンダラの説明をした後、学生さんに自分でやってみたいベンチャービジネスの位置づけとそのビジネスモデルをマンダラ風に記述して いただいたことは前に報告させていただきました「起業のアイデア創り」参照。上図はその時複数の方から提出された「介護ロボット」関連のビジネスモデルから、 キーワードを抜き出し私が作成したものです。同図の収益の流れを見てお分かりのように、機器の販売、サービスの提供、メンテナンス、共同開発、株式といった具合に 異なったビジネスモデルを単にマージしたものゆえ内容には全く整合性がありませんし、表現方法にも問題があることに気づかれた人も多いかと思います。

 現実の起業計画時には、興味を持つ人が集まりそのグループで同意を得られる具体的なイメージの表現に変えます。更にリーン・スタートアップで実行するモデルの 仮説として使うためには、その仮説は実行できたか出来なかったかを評価できる表現になっている必要があります。そう思って見ると、資金のグループのいくつかの金額 を除けば、数量表現は見当たりません。その他安全性の確保や安価な労働力といった形容詞で修飾された表現は評価可能なような表現になるように工夫する必要が あります。また前節に見たようにスタートアップ時に結果を検証できる数には限りがあります。そのため自分のビジネスの特性を明確に表現し重要と思うものを少数選ぶ 必要も有ります。検証可能な数少ない記述で他との違いを的確に表現したモデルを作れれば、読んだ人に与える印象も強く、関係者からの適切なアドバイスも増え、 関係者からの質問が有った場合にも多くの項目を考慮に入れた練られたビジネスモデルであることを容易に説明できます。こうしてアイデア出しで良く言われる発散思考 から収束思考へのプロセスが自然と行われることになります。ここでビジネスモデル要素を重要な少数に絞ることが出来れば、スタートアップ時の検証回数も少なくなり 本格展開までの期間は短くなり、スタートアップの危険を大幅に減少すること期待できそうです。

まとめ

 これまで見てきたように「リーン・スタートアップ」で提案していることは、理系研究者やエンジニアが普段現場で行っている研究開発方法と大きな違いは ありません。これには何の不思議もありません。トヨタ生産方式を実施している「現場・現物」を重視する生産現場では当たり前のやり方を経営者や管理者向けに 「リーン」の考え方としてまとめあげたものですから。

 研究も起業も新しいことに挑戦し競争するという仕事の性格には大きな違いはありません。起業を目指す方はもとより、「リーン」な 考え方を当たり前と感じられた研究者やその関係者のみなさんも「リーン・リサーチ」なるものに挑戦してみるのも面白いかもしれません。当たり前だと思っていること と実際やっているということの間には大きなギャップがあるはずです。うまくいけば、低コストですばやく成果が出る方法が見つかるかもしれません。試しに 「lean research」なる検索語でWeb検索を行うと、無数の情報が出てきます。競争は一杯ありそうで、それだけやりがいもあるはずです。

追記
 ちょうどこの原稿を書き上げた2013年9月17日にトヨタ中興の祖と言われる豊田英二氏が100歳で逝去されました。同氏はトヨタ自動車の社長時代に今回のテーマで ある「リーン」の元となるトヨタ生産方式を確立されたかたです。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

注1)ハーバードビジネスレビュー 起業に学ぶ 20130年8月 「スタートアップ:大企業での活かし方」スティーブ・ブランク p40

 

注2)リーン・スタートアップ 無駄のない企業プロセスでイノベーションを生み出す エリック・リース著 井口耕二訳 p15

2013/09/17
文責 瀬領浩一